後書きに代えて ― 累積について(1989年) 2006年04月08日
私の著作『書物の時間』序文(http://www.ashida.info/blog/2006/04/post_135.html#more)に続いて、後書きを掲載します。この後書き(1989年)は、序文(1982年)と7年間の開きがありますが、内容が裏表のようにセットになっています。今から思えばこの後書きは私の、大学との哲学的な決裂の宣言でした。
●後書きにかえて ― 累積について(1989年)
① 同意の現在高
自分が当然のことだと思っていることでも、他人にとってはそうではないことがある。感情的なこと、価値に関すること、あるいは経験的なことについては、そういうことは、日常的にありふれたことであるにしても、だからといって理性的なことでは、それが例外的なことだとは言いきれない。むしろ経験的な類いのことについては、初めから他人の趣向や環境と合わせること(一致させること)など諦めきっているところがあるから、かえって、他人と違うことが問題になることなどないのである。
しかし仮に理性が、あるいは理性と言われているものが感情や価値や経験性と区別されるところが後者の相対的な性格を脱することであるとすれば、理性的なことについて「他人にとってはそうではない」という事情は放置できることではないであろうし、なかなかあきらめきれるものではない。ひとは、「証明」「論証」「妥当性」などという理性の言葉が、対立の和解のためというよりもその対立の組織化のために用いられもすることをよく知っている。
むろんこのことは「そうではない」他人を説得することの問題、「説得の技術」にかかわる問題に横滑りさせるべきではない。理性的な事柄は、だれにでもそれとして理解されることであるはずなのに(自分と違って)「他人にとってはそうではない」ということは、理性的なことが承認(納得)を待って初めてそれであるということではないだろう。
個人が或る事柄を承認するかしないかは、どのように事柄の内容を制限しようとも ― たとえば、ここまでは理性、ここからは感情、またここまでは事実、ここからは価値というふうに ― 心理的な問題に帰趨するはずである。個体的(身体を有した)個人ということでいえば、ひとは心の底では承認していても“否”と言うことができるし、またわかっていなくてもわかったふりをすることができるからである。そしてそういったそぶりを真であるとか偽であるというふうに判定する材料それ自身が経験的に相対的な性格を帯びざるを得ないことははっきりしている。
ヘーゲルは承認とは「承認の承認」であるとすでに言っている。承認ということの心理主義的な解釈を彼は退けているわけだし、フッサールが「表現」の、「指標」に絡みつく相対性を払拭しようとしているのも「表現」の「純粋」性から「伝達的なレーデ」を排除するためのことである。
それゆえ、「他人にとってはそうではない」ということ、そういう事実が ― ロゴスとしての理性にかかわる西洋哲学史そのものが、たとえばカントにとってそうであるものがヘーゲルにとってそうではないというふうに区別されもしてきたのである(理性的区別とでも言うべきなのだろうか) ― どのような留保付きであれ認められる場合、それは心理的な不満として、言いかえれば、理性的であるならば(いつかは)一致するはずだという期待の独言として語られるべきではないのである。
はっきりしていることは、理性が経験的な相対性を脱するということは、諸個人の同意(一致)をいみするものではないということ。
哲学史が仮に理性の歩みとしての理性史 - 尤も理性に歩みというようなものがあるかどうかはさだかではないが - であるとすれば、ひとりの哲学者は、時代の、その種の同意に反してまでも生まれでてきたのである。それは周知のことである。結果的に支持されてきた哲学者たちの王道としての理性史を語ることはできるかも知れないが、つまり、同意なしにとは言え、なお一人でも多くの支持者なしには、それが理性的であることの伝承 - 同意といういみでは理性の存在とは、理性を伝えること、あるいは伝える可能性そのものであるだろうから - は問題にならなかったであろうといういみでの王道としての歴史について語ることはできるだろうが、しかしそのこと自体が(たかだか)同意の現在高にすぎないことは明らかである。
その種の歴史性(歴史的な蓄積)は、〈理性〉がわざわざ介入しなくてもいつでも自然に逆転しうる、つまり自然に増大しうるし、自然に衰退しうるものである。だからこそ、ヘーゲルは〈歴史〉という概念を〈現在〉という概念の別名として、つまり拡大された現在として読みかえざるをえない。ハイデガーが「思索の歴史を思索的に経験した唯一の思想家はヘーゲルである」(『アナクシマンドロスの言葉』邦訳11㌻)というのは、自然的な累積とは別の仕方で、ヘーゲルが〈現在〉の或る種の拡張に寄与したからである。そして、ハイデガー自身の「初期・後期」を巡るかの「ケ―レ」論は、この〈現 前 性〉の概念の問題系に属している。
ところで、たったひとりの、自分だけが自分の支持者にすぎないことが世界を魅了する天文学的な支持量となって現れることの始まりであるかも知れないし、そしてその時点こそが現在であるかもしれないことをだれも拒むことはできない。
むろんこのことは憶測であり、経験的な憶測である。憶測ということで言えば、たったひとりの自分だけでの支持に終わった無数の世界性(世界的な普遍性)が世界史のあちこちに埋もれているかもしれないということも拒みえない憶測のもう一つである。こういったことは、理性的なものには同意(同意的な一致)が必要だとする場合には、理性的に確定できない。それは背理である。同意的な理性といういみで言えば、すでになんらかの仕方で支持されているものだけが理性的であるだろうからである。しかしこの「すでに」ということが、どこまでいってもやはり経験的な現在高を示す時間性でしかないのは明らかである。
② 社会的な浮力
むろんこのような累積の経験性は、知的な累積の経験性の問題と重ねて考えることができる。「ヘーゲル…」、「フッサール…」、「ハイデガー…」などの、僅かながらすでに参照されてしまった知的な意匠のレフェランス(参照・帰趨項)は、理性のレフェランスとして必然的なものであるわけではない。それは、哲学をやっている者のレフェランスとしてすら必然的であるわけではない。哲学をやっている者の必然性とは、大学の制度の必然性のことであるだろうが、一人の個人が大学にいるということは、社会的なこととして、いつでも偶然的なことである。それは、生活する(生活費を稼ぐ)ために多様な在り方があることの偶然性と区別される必要はない。一人の個人が大学にいることを理性的に基礎付けることなどできるはずがないのである。
知的な現在というものを、時間軸で考えた場合、たとえば、高校生の知的な現在を考える場合、たとえば、それを100年単位で遡れば、現在の大学人と呼ばれている人達の知的な(社会的)水準とあるところでは等しいか、それ以上であるかも知れない。逆に、大学人の(知的な)現在を100年単位で将来的に予測すれば、社会的な常識あるいはそれ以下に位置づくことだろう。また空間的な広がりの現在性で考えた場合には、日本の哲学専攻の大学院生の修士論文は、ドイツの大学の哲学科の専攻生の卒論程度のもの(あるいはそれ以下)にとどまるだろうし、ドイツの大学院生のものは、日本のプロフェッサーのものと相対的であるに違いない。それらは、知的な累積の自然性に依存している。相対的な累積性の問題なのである。つまりそれは、一人の個人の学問的努力とか優劣(才能)の問題ではまったくない。
どういう仕方でか、偶然にそこに身を置くことから来る或る浮力が、どんなそこにもある。大学にいるということは、知的な累積の浮力の内に身を置くということである。〈そこにいる〉ということは、何ということもなくカントを知り、何ということもなくヘーゲルを知り、ハイデガーを知るということ、そのように諸々の知的な意匠を知るということ、また相対的に浮上力の強い場合には、それらの研究の世界的な水準の累積の現在性の内に身を置くということをいみする。
それは、どんな人でも大工さんの見習い修行に10年も費せば、ほぼ一人前になるという類いの浮上性(熟練性)と区別されはしない。
そのような累積性の内部にこそ、向き不向きと言われているものが生じている。それは「やってみないとわからない」ような相違である。「やってみないとわからない」という経験性こそが、その内部での才能(と考えられているもの)の経験性(経験的な相対性)とまったく等質のものである。
そして、ひとりの個人が、大学人として社会人であるのかそれとも大工さんとして社会人であるのかを区別する(理性的)手立ては、この浮上性の内部にはない。この浮上性は、大学人/大工さんの区別を形式的に再認するばかりである。言いかえれば、この区別に無関心であるほかはないのである。それは、互いの〈存在〉こそが、互いの相対化であるような区別を形成するにとどまる。むろん、この種の相対化が経験的であることははっきりしている。大学人が「カント」を参照するようにして、大工さんは「カンナ」を手にとるのである。
この違い(大学人/大工さん)は、むろん社会的である。社会的ということは、ある時代のある社会においては、自然にであれ、意識的にであれ、社会的に様々な役割を人々が担わされて存在しており、ある時代のある社会においては、大学人というのは、それとして分節されていないこともあったろうし、大工さんの場合も同じことが言えるといういみでのことである。つまりこの違いは、過去の社会においてもそのように分節されていたわけではないし、そのいみでまた未来の社会においてもそうであり続けるとは限らない。それは、一つの社会の時間軸上の展開に限る必要もなく、同時代的に現存する別の文化の別の社会の分節体系においては、消失しもする区別であることは明瞭なことである。
③ 累積と浮力と
もし仮に、哲学というものが、経験的な累積の(現在性の)近しさ(狭さ)を脱けようとするものであるならば、そしてそのことが、ひとが理性的である(あろうとする)ことのいみであるならば、「ヘーゲル」という一個人が仮に理性的であることと、彼が、哲学= 哲学史としての、たとえば「カント」を参照したこととは、別のことである。あるいは、彼が大学人であることとは、別のことである。そうでなければ、一個人が理性的であるためには、彼は、必ず哲学=哲学史と大学人をそのレフェランスの必然性において通過しなければならないことになる。しかしレフェランスとしての哲学=哲学史が、そしてまた理性的意匠とされている哲学=哲学史を「引用」するヘーゲルが、事実、その点で理性的であるかどうかは、やはり偶然的な枠に限られた議論にとどまるだろう。ありていに言えば、哲学=哲学史を“知らない“ということは、それだけで非理性的だと断ずるわけにはいかないということである。それは、ヘーゲルが哲学=哲学史として「カント」を“知っている”ことが、その点で理性的であるとは言えないのと同じことである。
しかし、一個人としてのヘーゲルが、現に哲学=哲学史としての「カント」を知っているということ、そして一人の個人がすでに(大学人として)「哲学」をやっているということ - そのようにして、同じように大工さんがすでに大工さんであること、また、たとえば私が日本に生まれ、日本語を母国語として(話し-書いて)いること、こういったことは、偶然的なことであるがやはり重いことである。重いというのは、こういったことは、すでに起こってしまっている偶然だからである。
すでに「カント」を哲学=哲学史として知っていることから脱けて、「カント」でなくありえたことの方へ越える ― ということは「カント」にたいして自由に、つまり理性的になるということだろうが、これは周知のようにライプニッツの充足根拠の問題である ― ためには、すでに「カント」を知っているという事実の響き(残響)はやはり重いものである。ちょうど、私が「ヘーゲル」や「フッサール」、あるいは「ハイデガー」をすでに知っている重さのように。
一人の個人が、社会的に(=生きて)そこにいるということは、この種の諸々の響きを背負っているということであり、それは、経験的な(「大学人」の、あるいは「大工さん」の、そしてまた……)累積の浮上力に比例している。
累積的な浮上力は、社会的な偶然を重いものにする。それは、単に社会的にすぎない差異を内閉的な普遍性へと転化させる。この過程は単純なものではないし、単なる囮(仮象)でもないだろう。それは認識や意志の問題ではないように思われる。しかしいずれにしても、知るということ(知的に経験するということ)は、知るということへと狭まっていくということである。知的な拡大=深化とは、知的なことがそれ自身で充足しうること、もはやわざわざその〈外〉へと出る必要がなくなることなのだから。
自分が当然のことだと思っていることでも、他人にとってはそうではないことがある。これは、したがってヘーゲルが言ったいみで「絶対的な(absolut) 」、つまり絶対的に解除的な(ab-solut)差異である。そこでは極限の無知が露呈しているような気がするが、それこそが、ふたたび知的に隠蔽され続けざるを得ない「絶対(=解除)」的無知、つまり絶対知なのである。
二つのヘーゲル論(「ヘーゲルと書物の時間」1982・「アン・イームということについて」1984)にとって問題であったのは、(私にとって)、それゆえ認識論的に疎 外論的なあらゆるヘーゲル読解からヘーゲルを解くことであった。この過程で必要に思われたのは、フッサール-ハイデガー的な現象概念に、ヘーゲル的な現象概念、絶対者のパルーシアとしての現象(=現前性)概念を突き合わせることだったのである。
そのためには、フッサールの現象概念の狭隘化(デリダ)からフッサールを解くこと(「デリダのフッサール理解について」1986)が予備的な作業として必須だった。おそらくデリダはいいいみでも悪いいみでも解体期におけるヘーゲル主義者なのである。それは「ポスト・モダン」と言われている思想家のほとんどが直面している普遍現象のようにおもわれる。
デリダ的な「現前性の形而上学」のデコンストリュクシオンは、だからこそ、再吟味されねばならない。そして、フッサールの現象学を経由する、ハイデガーの「ケーレ(転回)」、つまり存在論的な非性をめぐっての「ケーレ」が、ヘーゲルの絶対的な差異の絶対(=解除)性、つまり理性知の累積的な浮上性を一つの「問題」として考えるにあたって、決定的に重要な手掛かりを与えてくれているように(私には)思われた(「『存在と時間』論」1988)。
しかしこれは一つの思想史なのだろうか、あるいは、もっと狭いいみで私の変遷なのだろうか。このような複数の名前(「私」を含めた)を名指すことに、もし意味があるとしたら、いったい何がそれに意味を与えているのだろうか。
ところで、このコン-テクストは、私の書いてきたもの(「本文」)に対する「説明」であるのか、「弁解」であるのか、それともまたそれとは別のものであるのか。「私にとって」(「私には」)そうであるものが「他人にとってはそうではないことがある」と先ほど書いたばかりの者が、「私にとって」の単に哲学=哲学史的な(私的)認識を語ること、これは、決定的な決裂、絶対的に=解除的な決裂でしかないだろう。だから序文と同様、後書きもまた語の厳密ないみで形式的なのである。そもそも(それ以前に)、この(「私」の)一冊の書物があることと、一つの思惟があること ― そういうものがあるとしてのことだが ― との間には、やはり何の連関もないのだから。
※ ※ ※
この本の出来上がる経緯は、まったくの偶然と言ってよかった。行路社という出版社は、W.ブレッカーの『カントにおける形而上学と経験』を買ったときから知っていたが、この夏、たまたま、書店で見つけてきた上村武男氏の『西田幾多郎 過程する球体』行路社刊の中に挟んであった注文票を兼ねた読者だよりに、ペイトンの『定言命法』、ジルソンの『存在と本質』などを注文したついでに大胆にも、「読んでいただきたい(=出版していただきたい)論文があるんですが…」とたった一行書いたのがことの始まりだった。
書いた本人も忘れてしまうほどの些細な一行だったにもかかわらず、そう日にちも経たないうちに、編集部の沢田さんから「とにかく論文を拝見させていただかないことには…」という不意打ちのようなお手紙をいただいて、些細な一行が、一つの出来事になってしまったのである。
私の返答は、論文を沢田さんに送ることでしかなかったが、もともと出版のために書いたものではなかったし、“大変なことになったな…”というのが実感だった。
それでも、ここ数年、私の論文の環境はある種の〈近さ〉にみちていて、このままでは、自滅するしかない状況だったようにおもえる。些細であっても、一行にこめたいみは ― 後から考えると ― 大きかったし、沢田さんの不意打ちのたより(Botschaft) は、私がいま必要としている〈遠さ〉のようにもおもわれて、論文を送るときは刑罰を受ける罪人のようでもあり、複雑な気持ちだった。
この本のなかの論文は、そのいみで自閉症の徴候をあちこちで見せているかもしれない。
にもかかわらず、それに最初に付きあってくださった、早稲田大学大学院文学研究科(哲学専攻)の伴博先生、その他伴研究室の先輩、同僚諸氏の方々には感謝の言葉もない。この本に入っている論文のほとんどが、この研究室が最初の発表の場であり、公的な発表のあてもなく、長い(職業上の規格を外れた)論文をかき続けることができたのは、この研究室の、春、秋、年に2回の発表会と、私の度重なるわがまま(な「研究」のスタイル)をほぼ諦め顔に許してくださっていた(?)伴博指導教授の寛容のお陰である。
また、早稲田大学ニーチェ研究会の方々も、各論文の講評を含め、今回の出版にあたり、 こまごま校正を含めた細々とした雑事を手伝ってくださり有り難いことだと思っている。とくに畏友、山本冬樹さんには、論文の発表のそのたびに刺激にみちた適切な批評を頂いて、そのつど後から発表する論文は、その返答のように書かせていただいたつもりである。
最後に、行路社の編集部の皆さん、とくに沢田都仁さんには、私の読みづらい文章に長々と付きあわせることになって、いろいろとご迷惑をかけることになってしまい、恐縮している。沢田さんの、私の文章(スタイル)や本の全体の構成についてのそのつどの貴重なアドバイスには、良い本を出すための出版人のプライドのようなものを痛いほど感じさせられて、今は、ただただ、そのプライドを私の本の出版で傷つけることになるのではないかと恐れるばかりである。後書き自身が長くなってしまったのはその沢田さんに対する私の、私信にも似た臆病な弁解であったのかもしれない。
1989年10月10日
(Version1.0)
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