ユニバーサルデザイン論・補遺 ― フットライトの意味 2006年03月06日
昨日の記事(家内の症状報告70)http://www.ashida.info/blog/2006/03/post_128.html#moreで、まだ少し書き足らなかったところを補っておきたい。
私のマンションには、なぜか入居したときから、トイレの入り口の下部側にライトが付いている(写真参照のこと)。
入居した頃には、何を気取って無駄なライトを付けている、と取り合わなかったが、家内の足が不自由になって大変重宝している。これは意味のあるライトなのだ。
足下を照らすライトというのは、普通は足下の障害物を照らすライトだというふうに理解される。しかし、トイレの入り口付近に障害物など(よほどのことがない限り)あるはずがない。私は、その意味では、このライトはまったく無駄なライトだと思っていた。
しかし、家内のような神経症の一部の足の障害は、足の感覚が弱くなるという障害であって、自分の足を筋力があっても動かせないという障害だ。私は、2年ほど前に、家内に足の感覚がないと言われたときに、すぐさま、こう答えた。「目があるだろ」と。「目で踏み出し具合を確かめながら動かせばいいのよ」と。そう自分で言ったときに、私はトイレのフットライトの本来の意味が、やっとわかったような気がした。
この場合、足を動かすというのは、運動神経的な操作であるよりは、視覚的な操作であって、足の向きや踏み出し具合を目で確認しながらの“行動”を障害者に強いることになる。言い換えれば、足を内部から動かすのではなくて視覚的な外部から操作するということだ。足を目で動かすのである。
神経系に障害があると、足を動かすことは視覚に頼らざるを得ない。トイレ入り口下部のフットライトは、足下の障害物を照らすものではなくて、足そのものを照らすライトなのだ。まさに“フットライト”なのである。それは神経障害者の歩行の可能性そのものに関わっている。
人間の障害は、実は障害ではない。5感が伸び縮みしながら、いつでも人間の全体を回復しようとしている。ときには5感を超えて(そして第6感すら超えて)、知性や思想そのもの、そして人間のNobility(http://www.ashida.info/blog/2003/02/hamaenco_3_4.html)が人間の〈全体〉をカバーしようとしている。
あらゆるデザインは、こういった回復の過程の再現でなければならない。フットライトは、人間はいつでも全体的に蘇生するということを見せつけているのである。
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私共の稚拙なBLOGへのコメント(http://heiwa.a-n.fem.jp/?eid=463653)、ありがとうございました。
芦田さんの感情移入-Empathy(演劇用語ではなぜかcatharsis・catharsismとも言います)は本当に素晴らしいclueです。
芦田さんのBLOGとの出会いは「ソフィー」(http://www.ashida.info/blog/2004/09/hamaenco_4_90.html)からの不思議な宿題だと思って、少しずつ拝見させていただいています。
想像の創造が、私の仕事ですが、そのためには、「サボっていたことこそ今のこの私に必要なことだった!」と、8月30日あたりにやっと夏の宿題帳を開く小学生のようです。
でも、開いてみたら、その宿題は、遊びほうけるよりも面白かった。
これからもよろしくお願いいたします。
MIZUKI 様
catharsis は、ギリシア語が語源で排泄作用を意味する言葉ですが、アリストテレスが詩学を論じるときに魂のノイズを排泄する、つまり人間の身体性を排泄するところにまで抽象化して使ったものですから、演劇界でも使われるようになったのでしょう。
それが Empathy と同義だとすれば、たぶん catharsis は身体性の消去そのものを意味すると思います。つまり〈一体化〉(あるいは〈超越〉)です。身体というベールを脱いだ一体化(超越)=魂の露現です。
たぶん演劇のダイナミクスは、それ(=魂の露現)をその対極の身体を使いながら実現するという矛盾の中にあります。
面白い仕事をされていますね。せっかくのご縁だから一度ぜひ見せてもらいたいと思います。
「トラックバック」ってすごいですね。いろんなところに連れて行ってくれますね。インターネットにもついて行けない私はただただ感激してばかりです。
フットライトは我が家にもつけました。2世帯で家を建て直した時に。階段の一段目にもつけたのですが、母なんて昼間でもよろよろしてるのに「もったいない」と言ってすぐに消してしまいます。
昔の人は、夜中はくらいもの、電気は消すものと思いこんでいますが、この記事を読んで聞かせてみたら、素直に納得したのです。高齢者や障害者と健常者のラインはないのですね。