校長の仕事(19) ― 建築学はどこまで思考するのか(写真付き) 2006年02月27日
今日は、建築工学科の学生の「卒業制作」発表会に半日以上つき合った。忙しい2月3月だが、卒業生の発表とあっては無視することもできない。特に建築工学科はわが校唯一の3年制の科。大学との競争が激化しつつある今、3年制の建築工学科がどこまで人材を形成できるかは、専門学校の可能性自体を占う試金石でもある。
そう思って発表を聞いていたら、だんだん腹が立ってきた。大学(大学生)と専門学校(専門学校生)との区別に対する関心も吹っ飛んでしまって、腹が立ってきた。教員の指導も評価も、大学の(ダメなところの)まねごとでしかない。現在の大学の建築教育の程度は十二分にわかるものだったが、なんでそんなものを専門学校がまねる必要がある。
わたしがいちばん気になったのは、開放的な空間と閉鎖的な空間、交流の空間と自立した空間(1人になれる空間)などと、あたかもそんな空間が実体的に存在しているかのように空間をデザインする無神経さだ。
ある女子学生は自分の住む住宅地域があまりにも交流が少ないと言って、“交流”ゾーンを作ろうとしていた。そんなバカな、と思ってわたしは質問した。
「あなた、朝学校へ来るときに『おはよう』なんて声があちこちから聞こえてくる住宅街を本当に快適だと思いますか。
たしかに、そんな住宅街を快適だと思うこともあるでしょう。でもその同じ状況を同じ人間が不快そのものと感じることもあるはず。だから、“交流”ということを空間的な実体としてデザインしてはいけない。ましてや交流好き人間、交流嫌い人間、というように人間を実体的に分離してもいけない。
“交流好き”な人間だって、分単位で1人になりたいこともあるし、“交流嫌い”人間だって、とてつもなく人恋しくなるときもある。交流性や孤独、私性や公共性は空間的に(あるいは時間的に)分離できるものではない。公園や“中間”ゾーンを作ったら、それが“コミュニケーションスペース”だなんて、バカな考えは最初から捨てるべきだ。
こういったことを考えるときは、もっと自分自身を内省しなさい。自分自身が地域の中に住まうときに、交流好き地域と反交流地域なんてものに自分自身を“分類”することがいかに不自然なことか、すぐにわかるはず。観念的に暴走するのがいちばんいけない。
住むとか、暮らすということは、もともと総合的なこと(つまり反機能的なこと)であって、そういった総合性をデザインすることが建築家の使命。そのことをもっと考えないと」と一気にまくし立てたが、どこまで女子学生に伝わったことやら。
建築教育の問題は、自分の思考をどう造形化するか、ということに力点が置かれていて、もしその場合、自分の“思考”が貧弱きわまりないものだったら? ということにまではなかなか思い至らない。思考を追えば、社会学や哲学に至ってしまって(しかも中途半端な社会学や哲学に至ってしまって)、建築学にはならないからだ。
今日も発表最後の学生が、新宿中央公園の不労者を、中央公園を二層化して地下に収容しようというプランを本気で訴えていた。
「バカなことを考えるんじゃない。不労者がいるということと都市が存在しているということとは同じこと。不労者の存在は“豊かさ”の存在と同じ。そのことを踏まえて不労者問題を扱わないと地下に収容してもふたたび地上に不労者はあふれ出すに違いない。つまり不労者は階層ではなくて、マージナルな存在。不労者の解放が成立するとすれば、それは都市そのものが解体する時でしかない。マージナルな存在をそれ自体として扱おうと思ったら、都市論そのものを展開しないとダメ」
建築学はどこまで社会学か、社会学はどこまで建築学か。大学も専門学校もこの問には無力だ。そういった自問を突きつけ続けた「卒業制作」発表会だった。
学校地下一階のテラホールでの制作発表会の模様。このように私はいつも欄外の評価者として発言している(一番後ろに立っているのが私)。
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