「芦田さんが私には初めて」 ― 手術後治療の失敗第一号 2006年01月24日
今日は術後治療で大失敗をして滅入ってしまった。
手術後私の鼻の穴には「綿球」(そう看護婦さんたちは呼んでいるが、要するに丸く丸めた直径1センチくらいの綿の固まり)が入っているが、術後直後はまるまる1個が左右の鼻の中に入り、さらに三つ横にまとめた綿球が鼻の出入り口のところ強い粘着力のあるテープで貼り付けられるというものものしいものだった。これはあきらかに出血対策。これくらいしないと血が止まらない状態だった。手術後丸一日がこの状態。
その後は、綿球一個ずつが左右の鼻に入っている状態。毎日の診察時(午前中にある)に外して中を消毒することをくり返す(ネブライザー=吸入器を使うときにも外すが)。週も明けて月曜日にもなれば、血はほとんど止まり、日曜日にはすでに綿球も一個ずつというよりもはさみで切って半個ずつになっていた。月曜日の診察の後、たしかに先生に「芦田さんきれいに直ってきていますね」とは言われながらも「(綿球を)外さないでくださいよ」とも言われていたのだが、「(血も止まってきているのに)なぜですか」と聞くのを忘れたのが悪かった。
病室にもどってきて看護婦に(「外してもいいよね」と)聞いたら、「いいですよ。血は止まっていますよね」と聞かれたから「止まっていますよ」と答えて、一件落着。久しぶりに気持ちよく一晩眠れた。
ところが、今日の朝の診察時に今日の担当医師(術後の医師は毎回変わる)に「芦田さん、綿球付けていましたか」とドキンとする質問。「看護婦に聞いたら、外してもいいと言われまして」なんて言い逃れるしかない。
その医師は「どういうつもりで言ったんだろう。担当医との間で何かあったのかな」なんて真剣に悩みはじめた。ああ、また大学(大学人の人間関係)かあ、と私の方が恐縮した。
「綿球は血を止めているだけではないのですね」と私が気を利かして聞いてみた。
「そうなんですよ。手術後のこの段階では内部を乾かしてはいけなんですよ。手術をしてポリープを大量に切り出したと言っても元々そんなに広い場所ではないですから、術後キズで膨張している粘膜同士がふれあったまま乾燥してそこにかさぶたのようなものができてしまうとまた塞がる可能性が出てくる。しめったまま(くっつかないまま)ゆっくり時間をかけて修復した方が手術の効果が高くなるわけです。そのためにも乾かさない方がいい、空気を通さない方がいい」
そう言えば、数年前どこかで“湿潤療法”というのを聞いたことがある。最近の切り傷は昔のようにかさぶたができたら、そこで治療終わり、というのではないらしい。かさぶたは実は治療の失敗の跡であって、出血キズはキレイに拭き取ってバンドエイドと共に血を固まらせて治療終了というのは誤りらしい。出血した直後の血を止めたら、後は膿が出てくる状態の湿潤性を保持することが大切で、その膿の湿り気がばい菌と生体が戦っている戦場であって、この状態(生体の自己免疫性)をできるだけ長く維持することが傷跡が後々残らない最大の療法らしい。最近は、湿潤バンドエイド(綿の部分がしめっているバンドエイド)のようなものが売られている、というのを聞いたことがある(買って使ったことはないが)。
なんで、こんなことを知っているくせに、その自分が綿を取ってしまったのか? 鼻の穴こそ、湿潤療法の最先端の場所であることは明らかだ。たぶん、私は素人としてはこの医師の言うことを一番理解できている。
「芦田さん、一晩で、ほらこんなにかさぶたができてしまっていますよ」と3、4センチの長さの薄いかさぶたがピンセットのようなもので取り出された。
「大きいものはもう一度取り去って、皮膚をリセットしましょう。今度は綿球を取らないようにしてください」
「わかりました」とは言ったが、最初から理由を言っといてくれよ、とも思った。
その後(夕方)、主治医の松脇先生が夕方来られて、退院と退院後の治療の打ち合わせ。やはり綿球の話になって、「そうなんですよ。この手術は湿度の高い梅雨の時期にやるのが一番いいんですよ。今だと空気が乾いていて、粘膜が乾きやすい。きれいに治らないんですよ」。
「ということは、退院後も綿球は詰めておいた方がいい、マスクもした方がいいのかな」
「そうですね。環境が許せば、その方が手術の効果ははるかに高いですよね。粘膜面も綺麗に治りますよね」
「わかりました。徹底して綿球を詰め続けます。もともと詰まっていた鼻なのですから、今さら、呼吸しづらい、なんてことはないし(笑)」
「明日、退院後の生活など、そのあたりを打ち合わせましょう」とそこで別れたが、一時間ほどしてまた松脇先生、病室に登場。
見舞いの人間がそのとき二人来ていたが、病室の入り口まで呼び出されて「芦田さん、ちょっと」。
「手術中に取り出した病変検査も結果が出ていました。やはり典型的な好酸球過多による慢性副鼻腔炎(http://homepage1.nifty.com/jibiaka50/hukubikuukousankyuuzoutasei.htm)でした」と今さらのように報告書を見ながら言われた。やっぱり手術後、術前の病理検査でもわからなかったことが起こることもあるらしい(たとえばやはりガン性だったとか)。私にとっては今さらのことだったが(何しろ国立がんセンターの検査(http://www.ashida.info/blog/2005/10/hamaenco_5_102.html)を経由しているから)、やはり大量の膿性のポリープを見て、最終判断はまだわからない、と思われていたのかもしれない。だから手術後暗い顔だったのか、とも思ったが、まあ一安心か。
私にはそれはそれほど深刻なことではなかった。だって、こんな手術をして安心しているが、本当はどこかでガン細胞が発育していて、別の手術や検査をした方がはるかに実践的、とも言えるからだ。
どっちにしても50年間も生きていれば、安心なんてことはあり得ない。私が得をしたと思えるのは、病院生活と全身麻酔を体力があるうちに体験できたということだ。私の経験では、60歳を超えて全身麻酔手術をするのは、それだけでも身体にかなりのダメージを与えるのではないかということだ。
さて、問題は看護婦。早速病室に呼び出して「あなたの言うことは間違っていました。綿球は血を止める(だけ)ものではないのよ」(ましては細菌感染をふせぐためだけでもないのよ)と芦田レクチャー開始。20分続いたが、看護婦にも言い訳があった。中央棟最上階21階個室専用フロアーで、副鼻腔炎(要するに蓄膿症)の手術ごときで入室する人はいないらしい。
慈恵医大は19階が耳鼻咽喉科だが、すべてフロアー毎に分野が別れている。しかし個室だけは分野を超えて21階に集中している。だから、ここの個室は大変静か。ただし、その欠陥は看護婦が専門的な対応をしづらい。いろいろな分野の患者がいるからだ。ましてやめったに蓄膿症の患者なんて最上階の21階には来ない。「芦田さんが私には初めて」なんて(かわいい看護婦さんに)処女のように言われたら、私もなにやら思わずしんみりとしてしまって、別れるのが惜しくなってしまった。いよいよ明日退院予定だ。
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