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 高橋尚子は凄かった―小出監督の晩酌は暗い 2005年11月20日

今日の高橋尚子は凄かった。腹が立つのは、35.7キロ地点の猛ダッシュの一瞬をカメラがとらえていなかったことだ。下位の外国人選手を映している瞬間(しかもこのときにだけカメラは下位選手を「映していた」)に、カメラが戻ったときにはもう2、3メートル引き離していた。たぶんカメラスイッチャーは「始末書」提出に違いない。「間違いない」。

よく考えれば、それほどに(誰もが予想できないほどに)高橋のダッシュは凄かった。私も含めて大概の予想は40キロすぎての僅差での勝ち負け勝負だろう、と思っていたに違いない。

35.7キロから、私はずーっと涙を流しながら見ていた。もういつ倒れてもおかしくはないし、もういつ倒れてもいいよと思いながら泣いていた。ゴールを切ったときには「やった」と(家内のいないリビングで)1人で喝采。

でも、私が考えていたことは高橋の勝利そのことではない。高橋の、小出監督との“関係”のことだ。ふたりは、たぶん骨肉の争い以上の仲の悪さだ。千葉真子(http://www.bunshun.co.jp/book_db/html/0/36/20/4890362088.shtml)が二人を引き裂いた。42キロのほとんどは、その対抗意識がすべてだといっても言い過ぎではない。

増田明美がずっとまえに言っていたことだが、マラソン選手と監督との関係は「信頼がすべて」。そうでないと身体がもたないくらいに練習は厳しいものらしい。すこしでも雑念が入るともうおしまい。そうやって高橋は小出から離れた。それはすでに2年前のこのマラソンから始まっていたのだ。

結果から見れば、高橋はぎりぎりのところで(ぎりぎり間に合うところで)小出からうまく離れることができた、ということか。2年前も今回も勝ち負けの“原因”は同じ。

今日も勝者の挨拶として「小出監督なしには今日の勝利はなかった」と高橋は“感謝”の言葉を述べていたが、それはもっとも効果的な決裂宣言でもあった。弟子と師匠との関係はいつでも難しい。

師匠というのはいつでも本当に必要なときには、そこにいない。そのことに耐え得た者だけが真に自立することができる。

解説の増田は35.7キロ以降、声をつまらせていたが、その増田は「Qちゃんの人間性や感謝力とでも言うものが、Qちゃんを走らせている」と見事に解説していた。しかし今日の小出監督の晩酌は複雑なものであるに違いない。弟子も孤独だが監督も孤独だ。「人間性や感謝力」は増田が思うほど単純ではない。


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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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