症状報告(66) ― 台風とキリスト教 2005年09月07日
私の家内の症状(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=124)は相変わらずだ。昨年6月の退院後、9月6日に再発して以来、丁度1年経ったが、その再発以来、一日の内7割くらいはベッドの中に蓑虫のように潜んでいる。やはり再発はどんどん身体を動けなくしていく。
体調が悪くなるのは、暑さと寒さ。さらには、湿気と低気圧だ。だから暑くて湿気があって台風が発生すると最悪の状態が生来する(胸から下のしびれ、しばり、はりがいっそう強くなる状態=痛くて息苦しくなる → もっときつくなると足が動かなくなる)。特に今回の台風14号は勢力が強くてさらに長く滞留しているため、最悪。再発寸前、くらいに体調が悪い。
こんな病人が家にいると、忙しい中、仕事から帰ってきて食事を作ってもさっぱりつまらない。私が思うに、病人とは、他人前(ひとまえ)で元気でいることが最大の仕事だと思う。ひっそりと辛い思いを耐えなくてはならない。それが本当の病人のつらさというものなのだろう。病人くらいは元気でいてほしい。「疲れた」と心から言えるのは、本来元気な人の権利であって、その逆ではない。
ニーチェが、キリスト者がふざけているのは彼らがいつも神のまなざしの中でしか悲しまないし懺悔をしないからだと言って憤慨していたのを思い出す。その意味で言えば、病人とは、みんなキリスト者になることだ。辛い、痛いと恨めしそうな顔をする。と言うより、他人が見ているときにだけそんな顔をする。
私の学校でも、廊下を曲がるまでは元気そうな顔をしていたのに、廊下を曲がって私の顔を見た途端に、辛そうで苦しそうな顔をするスタッフがいる。たぶん一所懸命仕事をして私はくたくたです(助けてください)、という表明なのだろう。そんなバカな、と私は思うのだが(それだったら、廊下を曲がる前から暗い顔をしていろよと私は思うのだが)、こういったスタッフは、そのときキリスト者だ。他人(ひと)が見ているときにしか悲しまないのが、キリスト者の悲しみだ。
しかし、本当の孤独や悲哀は、誰も自分のことなど見てはいないということにある。病人が本当に辛いのは、彼(彼女)が元気に振る舞うときにこそそうなのだ。しかも、これこそが本当の元気の源(みなもと)である。
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