友人のワイフが若くして死んだ。 2005年06月20日
「智美さん(私の家内の名前)の症状も少しずつよくなっているとお聞きしています。希望を失わず、お互い元気になるように頑張りましょうね。そしていつか元気になってお目にかかれることを願っています。 2005年4月8日 野崎ヒロ子」。
ほんの二ヶ月前の、彼女の神戸の結婚式以来のはじめての手紙が最後の手紙となった。友人のワイフが死んだ。「ヒロ子が亡くなりました」と、その友人・野崎さんからのメールが今日の18:52に来た。ヒロ子さんは、2年前に肺ガンを宣告され闘病中だった。
友人の野崎さんは、早稲田の高橋允昭ゼミ(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=354.352.1)の1年先輩で、今では関西の大学でフランス語を教えている。野崎さん“も”、私的なホームページで(というより、ホームページというものは、企業のものであれ個人のものであれ、もとから私的なものだが)、ヒロ子さんの闘病記(看病記)を綴っていたが(http://ha1.seikyou.ne.jp/home/jiro/cahier2004.4.html)、私はその文体があまりにも私的にすぎて許せなかった。とても文学や哲学に馴染んだ者の文体とは思えなかった。
要するに野崎さんのワイフへの“愛”は、青春時代の野崎さんの自己研鑽を破壊するほどに深かったと言うべきか。
しかし文学や哲学の、そして思想の本旨がそもそもあるがままに存在を受容することであるとすれば、近親者の死(そしてあるいはもっとも近親的な自分の死)は思想の試練の奥義とも言える。〈死〉は否定の極限であるようにして私たちに訪れるからだ。そして、しかし〈愛〉とはそもそもがあるがままに存在(=死)を肯定する思想の奥義中の奥義ではないのか。
そもそも〈出会う〉という出来事は、その対象の生死に影響されないことを言うのです。〈出会う〉ということは、もとから生死を超えているわけです。というより、そのことを教わることが〈出会う〉ということです。
こんなことで悲しんでいるようでは、ワイフを本当に愛したことにはなりませんよ、野崎さん。これを機会にもっと文体(=死の文体)を研ぎ澄ましてください。それがワイフへの供養というものです。
「そしていつか元気になってお目にかかれることを願っています」とヒロ子さんは最後に書いている。どんな手紙も死者から(最後から)の便りです。この遠い便りにこそ、ヒロ子さんが現前しています。ヒロ子さん(ヒロ子さんへ)。野崎さんははじめてあなたに近づいたと言えるのではないでしょうか。これからですよ、お二人は。
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