超高層マンションは買ってはいけない 2005年01月14日
今日は、建築工学科(http://www.tera-house.ac.jp/course/construction/engineer/index.html)の高瀬先生(先のリンク箇所の真ん中の写真の青いジージャン・ジーパンを身につけているのが高瀬先生)をつかまえて、面白い話ができた。
なぜか超高層マンションの話になって、私が、「超高層マンションの苦情って、どんなものがあるか知ってる? 実は、高層階ほど戸境壁が薄くて隣の音が聞こえやすいのよ」(私)
「なるほどたしかに超高層の戸境壁は、通常のマンションのようにコンクリート造ではなくて、石膏ボードですからね。でも、超高層用の特殊な石膏ボードで、防音性能も悪くはないはずですよ」(高瀬)。
「いやいや、そんなふうに販売業者は説明するけれども、実はウソで、たとえば、通常の12階建てくらいのマンションから“(眺望のすばらしい)憧れの超高層”で、引っ越しした人の大概の感想は隣の住戸の音がうるさい、ということなのよ。そりゃそうだよね。30階、40階、50階にもなれば、薄い壁にして軽くしないと大変な鉄骨の量(と重さ)になるものね」(私)
「そういえば、普通のマンションから超高層に引っ越しした人で、『(隣の住戸が)やかましい』と言って一日で出て行った人がいるって聞いたことがあるな。そもそも超高層階だけではなく、柔構造の鉄骨造だと低層階であっても戸境壁は石膏ボードですからね」(高瀬)
「でしょ。『特殊な』石膏ボードって言ったって、所詮、石膏ボードにすぎないからね。普通のマンションなら、今どき最低でも15センチ厚くらいのコンクリート壁だから、防音性能ははるかに高い」(私)
「たしかにコンクリート壁に比べれば、全然ダメですよ。特殊な石膏ボードと言っても、超高層のホテルなんかで使われているものですよ」(高瀬)
「でしょ。だって、ホテルの戸境壁って、隣の音よく聞こえるじゃないの。仲のいい若いカップルなんかが泊まっているととんでもない音まで聞こえてきて、こちらまで、アダルトビデオチャンネルを見る羽目になったりする。それは石膏ボード(=超高層)のせいだよ。たぶん超高層ホテルのアダルトビデオ視聴率は鉄筋中層ホテルの視聴率よりも高いんじゃないの」(私)。
「それは知りませんけど(笑い)、たしかにホテルは聞こえやすいですよね」(高瀬)
「そうだよ。通常のマンションは、上下の音は少し聞こえるにしても、左右の隣接住戸の音が聞こえるということはまずあり得ない。下手な戸建て住戸よりもはるかにプライバシーは保てる。私は東京へ出てきて以来25年以上マンション暮らしだけれども、隣接住戸の音が聞こえたことなど一度もない。万が一聞こえるとしたら開けっ放しのテラスの窓から(隣接住戸どうしが、テラス側の窓を同時にフルオープンにした場合)であって、戸境壁の向こうからではない。ところが、その快適感覚で、超高層を買ってしまうととんでもない後悔をすることになる。特に眺望(の悪さ)は顔を背ければ、無視できるけれども、音はどこにいても聞こえる。耳をふさいで生活することなどできないから影響大だよ。音は、4次元。つまり空間を超えている」(私)
「音の方が、人間の心に与える影響が大きいんだよ。聴覚障害児と、視覚障害児では、聴覚障害児の方がはるかに知能の発達に悪影響を与える。それだけ、聴覚は心や精神のありようと密接な連関がある。不快な風景よりは不快な音の方がはるかに人はいらつく。その逆にヘーゲル(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB」は、だから、視覚の対象としての絵画よりも、聴覚の対象としての詩(音読されるものとしての詩)の方を芸術としての高度だとみなしたのよ。ヘーゲルもまた、精神と聴覚との関係を重要視したのよ。風景(の善し悪し)なんて、それに比べればはるかにどうってことないものなのよ。三重苦のヘレンケラー(http://www.helenkeller.or.jp/hkstory.htm)だって、生後2年間くらいは、聴覚が生きていた。これが彼女の“奇跡”の秘密」(私)
「たとえば、超高層マンションでは子供はまともに育たない。それは大地の自然性から離れるからと言うよりも、音から離反するから。超高層だと、まず自然の音が全くなくなる。鳥や虫の鳴き声、雨の音、雨の草葉に落ちる音などがまず全く聞こえない。人工的な音ばかりに包囲される。私の息子の太郎に、私の家内が添い寝して寝ていた頃(太郎が4才くらい)、家内が面白いことを言っていたことがある(このときには5階建ての5階に住んでいた)。太郎に聞こえていない音がある、と。添い寝していて雨が降り始めた、“その”音が家内の耳には聞こえているのに、太郎には聞こえていない。『太郎君、虫がたくさん鳴いているよね』『どこで』『いっぱい鳴いているじゃない。リーン、リーンって聞こえないの』『聞こえないよ』。『あっ、雨が降ってきた』『なんでわかるの』『雨音がするじゃない』『聞こえないよ。天気予報テレビで見たんでしょ』『今音がしているじゃない』『ウソだって』。家内はびっくりしたらしい。だから、早稲田大学に現役で入学しても(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=268.124.54)、我が息子、太郎はどこかで精神障害者なのよ。絶対にどこかでつまずくと思うよ」(私)。
「私の太郎は、2才になる直前まで14階建て14階のマンション。2才から13才まで5階建て5階のマンション、13才からは9階建て8階のマンション(今)に住んできたけれど、幼少時にマンションに住むのはその意味で絶対によくない。私と家内なんかは大学までは通常の(いなかの)一軒家だったから、夏や秋の田畑からの虫の音の大合唱を聞いて育ったし、雨音は葉っぱに落ちる音が最高だというのもよく心得ている。その意味でマンション生活の悪影響は少ないけれども、それが小さいときからしかも超高層なんかだとたぶん大人であっても精神異常になるに違いない」(私)。
「住まうということは、何も空間的なばかりではない。人は、音の中にも住んでいる。風景の中よりもはるかに音の中に住んでいる。低層住宅が眺望を奪う以上に、超高層は音を奪う。しかも音の方がはるかに人間の精神や心に影響を与えるとすれば(いかさまの心理学 ― 心理学そのものがいかさまだが ― だけではなく、ヘーゲルだってそう言うのだから正しいのだろう)、超高層の自然音からの疎外、隣接住戸からのノイズは、眺望の快適さと相殺しても決してゼロにはならない。むしろ大きなマイナスばかり」(私)
「それ学生にも話した方がいいですよ。そんな感じで建築を教えたことはないな」(高瀬)
「でしょ。今の建築教育、足りないものが多すぎるのよ。もっとあなたみたいな若手が勉強してくれなきゃ。建築を物理的な構造物としか考えられない唯物主義(ただものしゅぎ)が一方にあって、一方には芸術くずれのデザイン主義がはびこっている。これが今の大学や専門学校の建築教育を台無しにしている。なんとかしようよ、高瀬先生。期待しています」(私)
今日はこの後も世田谷校舎(http://www.tera-house.ac.jp/guide/access.html#setagaya)へ行って、自動車整備国家二級試験の問題作成データベース開発の打ち合わせ。これもなかなか面白そうなものができそうだ。今日も忙しい一日だった。
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