症状報告(49) ― 「また再発しました」続編 2004年03月19日
夕方、学校を早退させてもらって病院へ駆けつけましたが、本人は、少なくとも私の前では元気でした。朝起きたら、足から下の感覚がゼロ。足がまったくない状態になっていたみたいです。足がない、とか言って女医に泣きついていたみたいです。ただし、足は動きます。ベッドの上で「ほら、動くよ」と実際動かしていました。感覚神経がマヒし、運動神経はなんとか保持されているみたいです。
MRI検査では、やはり以前と同じ箇所に軽い炎症の痕跡がある、とのこと。文字通り「再発」です。同じ箇所に「再発」を繰り返しているのが家内の特長。この病気は何度も繰り返す、という意味の時間的な「多発」と、場所も不特定に生じるという空間的な「多発」の二重の意味があるのですが、家内の「多発」はほとんど同じ場所で起こっている、という意味で空間的な「多発」ではありません。やはり首下の骨髄のところで炎症が起こっています。
3週間前から退院準備のための週末退院を始め、先週の土日(金曜日の夜:12日から日曜日:14日の昼すぎまで)も自宅に帰っていましたが(今日も週末退院の予定でした)、すでに先週の帰宅時は少し調子がおかしく、背中の当該箇所が痛い、とは言っていました。この症状は、昨年の発病以前から、毎年「春分の日」前の一週間くらいはいつも起こっていた“症状”です。この時期は、家内の免疫特異日(特異週)と言えます。
治療の問題としては、インターフェロンベータが効いていないためにこうなったのか(別の治療が必要になる)、効いていたからこそ感覚神経のマヒでとどまったのか(インターフェロンベータの投与量の適正化が課題になる)、その判断が重要になります。今日、明日の検査結果と分析は、その一点に関わっています。
先生たちも看護婦さんたちも、3月中にも退院の予定だったのに、ということで本人の気持ちの落ち込みを気にしていたらしい。落ち込む家内を気遣って、担当医のF女医が、昼食食べますか、と家内に聞いたら、家内は「先生が傍にいてくれるだけで安心」と答えたらしい。それを聞いたF女医は目を真っ赤にしていたらしいから、周りの人たちも懸命だ。私だけがいざというときに役に立っていないということか。
家内がMRI検査のときには、私は虎ノ門パストラル(http://www.pastoral.or.jp/index.html)で、例の経済産業省の最後の委員会(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=212)に出席していた。この報告はまた別の機会に譲るが、こういった選択(家族か仕事か)は難しい。かけがいのないもの、それが家族であることはもちろんであるが、しかしかけがいのない仕事というのもある。何も経産省の仕事だから、というのではなく、学校の仕事が私にとっては分刻み、秒刻みでかけがいのないものだ。
しかし、こういった“認識”は得てして一人よがりと思い上がりによってできあがっている(ほとんど例外なくそうだ)。それに、仕事というものは、代理可能でないユニークな仕事を組織の日常時(組織の普段)に変えていくことでもある。その意味でも仕事“主義”は間違っている。しかし、そうであったとしても、「でもね」と言いたくなるときもある。それは男の“気”とでも言うものだ。家内が私の前では元気なの(元気に見せるの)が、女の“気”であるように。
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