症状報告(40) ― 母親が泣いていた 2004年01月05日
今日は、家内の病院で印象的な風景に出会った。子供(中学3年生か、高校1,2年生という年齢の男の子)が病気で入院。車椅子で母親に押されている。お父さんが見舞いに来ていた。長期出張中で、お正月にやっと時間が取れ、東京に帰ってきた。今日、東京を発つということころか。もうお別れの玄関だ。何度も握手を繰り返し、「くよくよするな、焦るなよ」と父親は子供に何度も言っているが、子供は黙っている。母親はその光景を目の当たりにして車椅子の後ろで子供に見つからないように涙を人差し指でぬぐっている。この子は、重病なのか。家内が私に向かって何かしゃべり続けていたが、その家族のことが気になって何も聞いてはいなかった。いつも家内と休憩する、女子医大脳神経センター玄関の出来事だ(私たちにはいつも長いすで時間をつぶすロビーの“特等席”があるが、ここは玄関で出入りする人々がすべて見える)。子供が重病というのも悲惨だ。特にその子を生んだお母さんにはこれほどの悲劇はないだろう。そのうえその父親に子供を過剰に気遣わせることにももっと心を痛めているのだろう。私には、その母親の涙が幾重もの悲しさに見えた。曙橋フジテレビ通りのマックで買ったポテトを間断なく食べている場合ではなかった。
そう思っていると、正月から妻を車椅子で散歩させている60歳前後の男の人が目の前を通る。これも何となく情けない。こういった初老の男は、みんな優しそうな顔をしている。家族に重病の病人がいると、その周りの家族はみんな優しそうな目をしている。こういう優しさは、よくない。優しくならざるを得ない優しさだからだ。優しい、というのはもともと必然性とは無縁だ。そうあり得る必要性はないところで示しうる優しさ、が本来の優しさだろう。全体が後ろ向きになっている優しさ(病気というのは治ってもともとゼロだから)は、家族の弱体化とほとんど同じだ。だから本来、家族だけでは病人は元気にはならない(と思う)。
お見舞いが大切なのは、(火急の家族ではない)別に来る必要もない人が来てくれる、というところにある(これが、人が優しいということの本来の意味だ)。たぶん本当はこれがパワーの源泉のような気がする(私は、人の葬式とか、人の見舞いというものを形式的なものだと思ってずーっとまともに“参加”してこなかったが、それは間違っていることを今回の家内の入院で学んだ)。他人は冷たいものだが、その冷たい他人が見舞いに来てくれるということこそが暖かいことなのだ。そもそも他人は冷たい、などと(わけのわからないことを)思うことこそが病人や病人の家族の特徴だ。そういった貧乏性的な心性が家族のパワーを萎縮させる。そういった家族の看病のまなざしは、みんな優しい(“世間”が小さくなるようにして、目が小さくなっている)。お金もないのに無理してワンボックスカーを買って、土日に家族をキャンプに連れて行くお父さんのようなまなざしだ。こういったお父さんは(優しいが故に)大概仕事ができない。
私は、父親が5ヶ月間入院していたが(3月に入院して8月に亡くなったが)、死んでしまっては元も子もない、退院するのなら見舞いも必要ない、と思って入院のその間2回しか(2回目は父が死んだその日だった)病院には見舞いに行かなかった。母親がずーっと付き添っていたということもあるが、家族のパワーが萎縮するのを本能的に嫌がっていたのだと思う。だから、今の私も家内を見舞いに行くという感じはない。高校時代に戻って、“彼女に会いに行く”そんな感じだ。だから病院に行って彼女が元気そうではないときにはすぐに帰ることにしている。元気でない病人を見舞うときほどイヤなものはない(変なことだが)。だから私は、周りの人には優しそうな人には見えていないはずだ。それでいいと思っている。
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始めまして。奥様のマイミクからご主人のブログを見てメールをしています。
私は気功で難病治療の仕事をしています(勧誘ではありません)。
その仕事を始めたイキサツは家内の病気からです。
簡単に経過を。
家内はリュウマチです。一年で末期まで(普通15年以上かかる)進んだ珍しいケースでした。
一年で骨の変形が進み。大腿骨の軟骨は無くなりました。ですからヒザ、肘、指の軟骨もなくしました。一年目でほぼ寝たきり、寝返りもトイレ、風呂も自力では出来ませんでした。
その時点で国立のリュウマチ専門科に行ったところ、「もう治療の出来るレベルではありません。入院してもしかたないので後は家族と共に過ごして下さい」と言われました。
そこでもらったのは薬でなくリュウマチ患者の書いた手記の本でした。
私が30歳のときです。それからリュウマチを認識しました(当時は病気の事も薬の説明もない時代でした)。
以来薬はズット同じステロイド(プレドニン)です。26年間同じ薬はありえないそうです。手術をズット言われてきましたがしませんでした。
今振り返ると私の気功の効果は多くあったと思います。
①薬の副作用が余り出なかった。
②筋肉、関節の磨耗で理論的には出来ない稼動率。曲げる。立つ。歩く等が随分出来るようになりました。風呂、トイレも自分で出来るようになりましたし。他にも色々です。書けばキリがありません。
要は医師の見解では説明できない体と数値の向上です。
③私は西洋医学で出来ない部分を家内に対する想いの中での気功で治療してきました。
何回か医師の前で実演もして来ました。やり方はやはり多くキリがありません。
長くなりました。人は冷たいものです。26年の病歴の中では離れていった親戚もあります。医学で対応しきれない病気もあります。気功といってもそんなに治すのを見た事もありません。ですから私の場合は家内に対する想いの中で出来た気功だと思います。
パーキンソン。脳梗塞の後遺症。クローン。ガン。リュウマチに比べて(気に関してです)全て対応しやすい病気でした。ですからこの仕事を始められたと思います。
余分な優しさは病気に負けます。何年も病気と向き合うには日々現実があります。その上であるレベルまでは私達の場合は克服できました。
病院を替わった時の治療内容には目眩がするほど医者は無知でした。体の事は本当にデーターでしか見れないのが現状だと思っています。しかたない事だと思います。24時間病気の体と向き合って解る事もあります。
歩けない。立てないはリハビリしか対応しないのも仕方ありません。しかし家族は見ていますし、何とかしたいと願いますから。
ですから私は頭のツボから体の部分へ脳を通して気を送る練習と勉強をしました。年齢に関係なく動きの機能を高める事が出来るようになりました。しかたありません。医者は解らない。出来ない事として終わりますので家族の私がするしかありませんでしたので。
奇跡は起こせませんがあるレベルまでの治癒を目指してする事は可能との想いを持つ事は重要と考えます。特に夫婦は伝わりますので。
気。想いは伝わります。今では患者さんは視力は治療なしで最初の5分位の会話の中で回復します。これは伝わると言うことです。夫婦、家族は同じ家で同じ食事をし、生活をしていますので必ず想いは伝染します。良い想いも悪い想いもです。薬にも想いは伝染していきます。
話がまとまりませんが、ご主人も大変だと察します。病気、薬、治療と良い思い。希望を持って治療に当たられる事を願います。
私の家内は2年前にガンで亡くなりました。2ヶ月といわれましたが7ヶ月持ちました。
最初から抗がん剤も入院も出来ませんでした。腹水が溜まり、モルヒネだけの在宅でしたが亡くなる翌日まで食事もし、水も飲みました。
医学ではナカナカありえないそうです。腹水が溜まる中で話しもし。これはやはり想いの気の効果だと思います。その間看護婦さん。ヘルパーさんの随分治療しました。それは家内の状況を見ていたから彼女らも受け入れてくれたのだと思います。
まとまらない内容のメールで失礼しました。もし奥様の体の稼動等でいきずまりがあれば(痛み、振るえ、力が入らない、等)メール頂ければ遠隔で治療させて頂きます。
病気の根本については医者ではないのでコメントは控えさせて頂きます。
突然で失礼しました。
太田 勝己