2004年 あけましておめでとうございます(公開年賀状)。 2004年01月01日
昨年は、家内が3月に倒れ(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=124)、病院も変わり(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=243.124.40)、いまだに入院生活(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=249.124.45)。中学校の時からの“交際”も50歳を前にして途切れてしまい、結婚以来はじめて家内のいないクリスマスとお正月を息子ともども初体験。最初のうちは、炊事・洗濯、掃除と何がどうなることやらと心配しましたが、慣れてしまえば思っていたほどでもない。慣れてしまえば、どうということもないものを〈家事〉というのでしょう。さすがに年末の大掃除には参りましたが。紅白歌合戦(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=255)にはぎりぎり間に合いました。
息子の太郎も、はや高校三年生。東大に入るには「2次試験で世界史、日本史両方勉強があるから無理」と昨夏早々あきらめて、多分、一橋の経済学部か、早稲田の政経に行きます。お金のかからない一橋を薦めています。受験勉強の一年でしたから家内がいてもいなくても彼には地味な生活でしたが、健康管理のための食事と生活の規律としての片づけを維持するのには少し気をつけました(子育てなんて、まともな食事作りと片付けだけをしっかりやることです)。食器の片付いていない台所は、大人の私にとってもすさんだ気になる。知らない間に台所やテーブルがきれいになっていれば、「お前も勉強くらいはきちんとしろよ」という(私からの)メッセージにはなっているでしょう。親子の“コミュニケーション”なんて、もともとそういったものでしかないのかもしれません。家内がいれば、もっと密度の高いコミュニケーションがあったでしょうが、逆にそれだけで気を使いすぎて倒れていたかもしれない。その意味で今回の入院はちょうどよかったかもしれない。入院している間に進学できるなんて、都合のいい話です。
家内が先に倒れるなんて、世の中のほとんどの男性はそう思っていない。男の身勝手を言うと、もともと自分が看取られるためにするのが“結婚”というもの。しかし結婚もまた独身と同じです。夫婦が同時にこの世から亡くなることなどないのですから。いずれにしても先を越されてしまうのが夫婦の“孤独”というものです。これは世俗の三角関係よりもはるかに孤独なものです。そんなことを考えてしまう年頃になりました。
しかしよく考えれば、世の中で一番身体によくないことは年をとるということです。病気の結果が死なのではなくて、死ぬことの結果が病気なのですから。50歳近くにもなればいつ入院してもよくない程度に年をとり始めている。ごく普通に家内は入院したのかもしれない。ごく普通に私も家事をし始めたのかもしれない。そうこうしているうちに、息子は“大人”になり巣立っていく。家族のお互いが〈自立〉し始めているのかもしれません。家族というのは不思議な“組織”です。そういった勉強ができたのが、我が家の2003年でした。満開の桜の時節を前にして、合格祝いと退院祝いを同時に迎えたいと思っています。
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