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 こんな人知らないなんて、話にならない。 2003年10月03日

私のAMEXカード騒動(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=201.196.1)で触れた「村松増美」って誰? なんてたくさんの人に聞かれてしまった。バカなことを言ってはいけません。彼は、たとえば、以下のようなことを文庫本(昨日献本して頂きました)で気軽に書ける人です。

 「ケネディ大統領にはホワイトハウスで通訳をいたしました。そのときは日本の外務大臣が大平正芳さん、大蔵大臣が田中角栄さんで、ケネディさんはお隣に大平さん、真正面にはきっとこの人は総理大臣になると思っていたんでしょう、田中角栄さんを据えていました。そのときに角栄さんに突然質問をして、私がそれを訳すと、角栄さんが鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしたのを覚えています。

 しかしさすがに角栄さんです。ハッと姿勢を取り直すと見事にお答えになり、それをケネディさんの耳元に、一種の同時通訳ですが、ささやき通訳といってイヤホーンもマイクも使わずにヒソヒソと訳すわけです。そうすると食事中でもだれも箸を止めることなく話ができるわけです。ケネディさんも非常にのみ込みのいい人で、じつに歯切れのいいやりとりでしたが、その内容は機密に属することでしょう、私は墓場まで持っていくつもりですので悪しからず。

 私は秘密を漏らさないようなおもしろいエピソード、冗談、英語のおもしろい表現というものだけを集めるようにしておりまして、あとは忘れることにしているわけです。じつは忘れてしまうんですが、それでも人様から「知っているんだろう、いつか書くんだろう」といわれると悪い気はしませんからニヤニヤと笑っていますので、どこまでがうそか本当かはご判断ください。

 ただ、そのときにケネディさんは、私のすぐうしろの五〇センチと離れていないところに座っていたんですが、明るい紺の明らかに英国製と思える上等のツィードの服でございました。ところがその肩にフケがたくさん落ちていました。体の大きい人はフケも大きいですね。汚いという感じよりは、大統領というのは大変なんだなという感じがいたしました。彼は毛髪も非常に豊かな人で、ちょうどキューバのミサイル危機でフルシチョフと遣り合っていたときだったらしいです。相当苦労をして頭を掻いていたんじゃないかと思いますが、フケがいっぱい残っていたのを記憶しております」(村松増美著『秘伝 英語で笑わせるユーモア交渉術』日経ビジネス人文庫p.104  http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3cbac3c0905f40106273?aid=&kywd=%C8%EB%C5%C1%A1%A1%B1%D1%B8%EC%A4%C7&ti=&ol=&au=&pb=&pby=&pbrg=2&isbn=&age=&idx=2&gu=&st=&srch=1&s1=za&dp=

 村松先生(http://www.eigotown.com/culture/interview/muramatsu/interview_p1.shtml)は、私は「知的生産の技術」研究会(http://www.myu.ac.jp/~hisatune/02-kenkyuu/chiken/chiken.htm)の八木哲郎会長http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3cbac3c0905f40106273?aid=&bibid=01477151&volno=0000 に紹介して頂いて、直接知ることになった。

 というよりも、1969年7月20日アポロ11の月面着陸(http://spaceboy.nasda.go.jp/note/yujin/j/yuj08_j.html)のときのアームストロング船長たちの言葉(「この一歩は一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩となるだろう」でよく知られているが)を西山千氏(http://akasaka.cool.ne.jp/kakeru3/bs1.html)と一緒に同時通訳したのが彼だと言った方がいい。それが私が村松先生を“知った”最初だった。今でも流ちょうな日本語が(美しい声で、しかも力強く)たたみかけるように流れてきたのを覚えている。私は当時中学3年生だったが、今でもその声は耳に残っている。最初に直接にお話ししたのは、昨年のホテルニューオータニだったが、とても初めてとは思えないほどに、この声だ、と思った。34年ぶりの声だった。

 遠い月面からのノイズだらけの英語(隣に英語が母国語の人がいても聞き取れないノイズだらけの英語)をよくもまあ隣にいる人のように伝えることのできる、この人は何なの? と思った。この世界史的な通訳を聞いて、「同時通訳」を目指すことになった人も多いと思う。それくらいにすばらしい、目の覚めるような仕事だった。

 彼は今、「ユーモア」に関心がある。彼のホームページアドレス(http://www.mm-smile.com/)には、SMILEが告知されており、そのメインキャッチは「村松増美と一緒に笑おう世界のユーモア」だ。単なる文化人(教養人)を超えたプロフェッショナル中のプロフェッショナルの彼が、なんで「ユーモア」なの? と頭の固い私は以前からわからなかったが、最近なんとなくわかってきた。同時通訳の最高の技術指標は、たぶんユーモアを“訳せる”かどうかなのだ。そこに同時通訳の一番難しい課題が潜んでいる。専門分野の通訳なんてたかがしれている。専門になればなるほど、言葉は限られてくるし、意味も限られてくる。そこで話される英語も、書かれるように話されるために通訳に苦労はない。

 しかし、笑いを訳すことはできない。それは笑いを説明することに過ぎないからだ。説明された笑いは笑いではない。笑いは、そうだったのか、という理解の対象ではない。だから、笑いを“伝える”ためには、通訳者自体が聴衆を笑わせる力を持っていなければならない。しかも他人の間(ま)で笑わせなくてはならない。だから、それは知識の累積や教養の累積、ましてや専門性の累積を超えた、神業的な能力なのである。村松さんがユーモアにこだわることは、彼が自分自身で証明する同時通訳者の最高の栄誉なのである。そもそも彼自身の日本語による講演はほとんど5分おきのユーモアに満ちている。彼の前にも後にも“同時通訳者”は存在しない。誰一人、彼のようにユーモアを“訳せる”人はいないからだ。

投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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