症状報告(28) ― 先生と家内に呼ばれた 2003年09月10日
今日は、家内と病院に呼び出されて、症状報告、治療計画の話を聞かされた。「次の段階の治療を考えている」とのこと。主治医の武田先生は、今日は外されていて(というか私が仕事で間に合わなかった)、宮崎という直接の担当医との話だった。次の段階というのは、2点ある。「骨髄の中の血管が(体質的に)変形しているのではないか」、その検査をして、本当に「多発性硬化症」なのかどうなのかを確かめてみたい。もしその特定をしないとしたら、ステロイド治療をやめて「免疫抑制剤を使いたい」とのこと。ただし、先の検査は、難しい検査で、場合によっては「現在の症状がさらに悪化する」ことがあるとのこと。したがってご家族の承諾がいります、ということだった。
私がその提案を受けて、真っ先に質問したことは(家内はずっとこのやり取りをそばで聞いていたが)、「この3月からの入退院は、この病気としては普通じゃないの?」ということ。「こういう病気なんでしょ」。それともあなた(先生)は、「この入退院の繰り返しを(たとえ)多発性硬化症だとしても異常な『多発』と考えているのですか」という質問だった。「そうですね、ちょっと多いと思います」。「あっ、そう」と私。「どうなんですかね。中の下くらいの『多発』なんですか」と続けて私。「うーん」とすこし唸って、「そうですね。中の中くらいかな」と先生の答え。(ちょっとまてよ、それなら、この入退院の繰り返しは、この病気そのものであって、危険な骨髄血管の検査なんてやる必要ないじゃないか、という意見はここでは初対面の先生ということもあり“我慢”した)。
私はそこで次のように続けた。「仮にその複雑な骨髄血管検査をして『多発性硬化症』ではないという判断が下される症例(多発性硬化症の患者が治療の挫折の中で、その検査でそうではない、と新判断が下される症例)は、どの程度ありますか」。「そうですね。ほんの数パーセントかな」。要するにほとんどないということだ、と私は思った。医師は、いつも効果的(で速効的)な治療を探し求めている。不安要因をどんどんつぶしたくなる。原因がわからなければ、治療は不可能だからだ。そう考えたいのだろう。この若い医師もそんな感じだった。
しかしこの検査はほとんど無意味だ。短いやり取りの中でもわかる。副作用の強い免疫抑制剤の投入もまだ必要ないと私は思う。何度も言うように、家内は薬(や治療法)の選択の段階というよりも体力が絶対的に落ちている。その原因の一番大きなものが全身を襲うあのびりびりした突っ張り。自宅療養を前提にした経口ステロイドをはじめた7月からひどくなった。だからリハビリもなかなか効果があがらず、体力の回復も遅れた(遅れたどころか弱体化していった、といった方がいいかもしれない)。大きな病気は治療も大事だが、体力の回復も大事だ。
たぶん今から思えば、経口ステロイドは効いていなかったのだ(「芦田の毎日」190番http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=190.124.31で触れたとおり)。点滴ステロイド(=パルス)は6月一ヶ月しかやっていないのだから、オーソドックスなこの病気の治療はまだ本格的には開始されていない、としか考えられない。だから点滴ステロイドとリハビリを徹底すべきだ。かなり体力が回復し、経口ステロイドの軽微な効果でも再発が防げる状態をまず目指すべきだ(私が医師であればそう判断する)。私側(家族側)の留意点でいえば、退院後は、どんな軽微な家事も当面させない、と覚悟するしかない(大した覚悟ではないが)。とにもかくにも全身を襲うあのびりびりした突っ張り、がなくなることがすべてだ。
医師はこの症状の原因をまだなお特定できていない。この病気の症状なのか、薬の副作用なのか、回復の兆しなのか、症状の悪化なのか、特定できていない。神経の病気は、100人いれば、100人の症状があるのだろう。特定できない要素が多すぎるし、症状の言葉も足りなさすぎる(そもそも「びりびり」「しびれる」「しばり」「押さえつけられる」「かたくなっている」なんて言葉で何がわかるというのか)。
私の考えでは、この病気の名医は、頭脳の明晰さというよりは、症例情報(文献情報も含めて)をどれだけ持っているかに関わっていると思う。
そう思いながら病院を後にしたが、後から(夜)家内がメールを送ってきた。「あなたは私のことで何を聞いても変わらないと思った」。これは褒め言葉らしい。何をおっしゃりますか。この程度のやり取りは、私は毎日、学内外で繰り広げている。ヘーゲルは「精神の生」ということを印象的に語ったことがあったが、死ぬ前に「生死を賭する」ことはいくらでもある。生死よりは「精神の生」の方がはるかに深いし、そもそもリアルだ。
追伸:今日は、あの足をさすってくれる看護婦さん(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=191.124.32)は休みの日だった。その代わり、3月の入院以来リハビリを担当してくれていたSさんが病室に来てくれた。「リハやる気がないのかな」と心配できてくれたそうだ。家内は弱気になっているし、その上、足も動かす自信がない。でも「必ず、私が担当するからね。足の動きは戻るからね」と励ましてくれたらしい。これなら、私が死んでも家内だけは元気で生きていけそうだ。
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