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 症状報告(21) ― 『サミット』と『さえき』 2003年07月16日

今日は、例の“バター”カレーの日だったのだが(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=162.124.21)、肝心の食べる段になって、今度は、ご飯ではなくて(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=169.124.24)、麦茶を沸かして冷やすのを忘れて、麦茶がない! 辛いカレーとよく冷えた麦茶、この組み合わせが最高なのに、麦茶がない! そこで息子に頼んで、例の『さえき(http://www.freshsaeki.co.jp/)』に麦茶を買わせに走らせた。ついでにバターの買い足しとマーガリン、さらについでに『午後の紅茶』を買ってきたのだが、帰ってきて真っ先に息子が言った。「俺は、袋に入れてくれたよ」。ショック。「誰々? あの小太りの高校生?」。「そうだよ」。なぜ、私には袋詰めしてくれないのに、息子には入れる? 入れないんだったら、誰にでも入れるなよ、と言いたくもなる。この戦いはまだまだ続きそうだ。

ところで、『さえき(http://www.freshsaeki.co.jp/)』は、必ず1年以内につぶれる(出店間もないが)。これは予言しておこう。今日も、その息子に『サミット』で、カレー用の肉を買ってきてもらったが、『さえき』と同じ程度のものを半額以下の値段(250グラムで240円)で売っている。オーストラリア産(サミット)と日本産(さえき)の違いがあるが(ウナギでも魚でも『さえき』はなぜか日本産にこだわっている)、倍の値段を出す気が起こるかどうかだ。たしかに、ウナギの中国産や肉の海外物は今でも危ないかもしれないが、倍の値段を出してもこだわる“階級”の人を相手にしたいのなら、もっと店員の態度を変えないとダメだ。店が売るものは、“物”と同様にサービス(顧客対応)でもある。たしかに、いくら愛想が良くても腐ったレタスを売られたらたまったものではないが、高いレタスを売っているくせに、愛想が良くないのは、興ざめだ。

たとえば、『サミット』はレジ周りにいつも店長か管理者がいて、混み始めるとかならずレジ稼働列を増やす。マイクで店内のだれかをレジに立たせるべく呼ぶようにいつもレジ周りを見ている人がいる。『さえき』は、その大切な判断をアルバイトの小娘たちに任せている。これでは勝てない。そもそも高いものを買わせておいて、顧客対応がそのレベルに達していない。

私が『さえき』をダメだと思うのは、『サミット』を意識していない、ということだ。世田ヶ谷南烏山に、単なる支店の一つを出した、ということでしか店作りをしようとしていない。『サミット』の方が『さえき』よりはるかに資本が大きいだろうに、小回りが効いた戦略的・戦術的展開をやっているのはむしろ『サミット』の方だ(これは支店長の力量なのだろうか、それとも『サミット』の力なのか、私にはまだそれがわからない)。競争意識のない支店展開は、よほど個性的なことをやらない限り勝てない。この地域で後発の『さえき』ならば余計にそうだ。『サミット』の店内にはいると『クイーンズシェフ(http://www.shakujii.com/data/32826.html)』『三浦屋』(http://www.miuraya.com/)』(そして今回の『さえき』と)10年来闘ってきた自負心や向上心がピンと張りつめているのが感じられるが、『さえき』にはそれがない。従業員がみなバラバラに働いている。

『サミット』は充分『さえき』を意識している。『さえき』の魚の品揃えが多いと、すぐに意識して魚を充実させる。肉の値段に対抗して、半分以下の価格の肉を大量に品揃えする。店舗面積は『さえき』の半分あるかないかの『サミット』だが、それを感じさせない。狭さもまとまって一気に買い物ができる利点に結びつけている。野菜の並べ方など天下一品だ。レタスも長ネギもすべて包装されている『サミット』。しおれた、はだかのレタスをむしると虫がいる『さえき』。何とのどごしの悪いサラダになることか。

『さえき』も当初は個性のあるスーパーだったのかもしれない。店内を歩いているとたしかにその名残はある。しかし支店を出し、店舗を拡大しはじめると(影響力が拡大しはじめると)、周りの者が(そのいいところを)すぐにまねをし始める。そうやって、〈業界〉というものが成立し、また業界全体の底上げも行われていく。しかしそれは先頭を切り開いてきたものが、後塵を拝することにもなるということだ。『サミット』に比べて少数精鋭の『さえき』が凡庸に見えるのは悲劇としか言いようがない。

私は、例の袋詰めの件で、先週『さえき』の本社に電話をかけ、総務の「ミシマ」さんに意見を聞いた。以下はそのやり取り。

私「(客待ちがなく空いているとき、購入点数が少ないときの)袋入れの指導はしていないのか」

ミ「店としてはしていません」

私「なぜ?」

ミ「アルバイトのため、お金を受け渡しを正確にするように、そこに集中するように指導しています」

私「同時にやるわけじゃないから、そんなに混乱するわけないでしょ」

ミ「それはそうですが、お金の受け渡しで、お客様に迷惑をおかけするのが一番いけないことですから。」

私「だから、そのことと袋入れは、別のことだよ」

ミ「お客様の方で指示してくだされば、やらせていただきます」

私「店の方で指導していないことを、私がお願いすることなどできないよ。そんなことをすると私とレジ係が個人的に対立することになるじゃない。レジ係に嫌われたくはないよ」

ミ「指示されれば、やるようには指導できます」

私「いや、私がわざわざ電話をかけているのは、会社の方針としてどう指導しているかを聞きたかっただけ」

ミ「会社の方針としてはしていません。後は、支店や個人の対応になります」。

私「なんか、話がかみ合っていない。じゃあ、蘆花公園店の店長に指導するように言えばいいだけかな。でも店長にも嫌われたくないなぁ」

ミ「そうですね。私の方からも店長に連絡しておきますが」

私「なんか、わけのわからない答えだけれども、期待しておきます」

しかし、未だに高校生の息子にしか袋詰めをやってくれない『さえき』の女子高生(「女子高生」と言い続けているが、ひょっとしたら『さえき』の前、私のマンションの隣の『女子学生会館』の女子大生かもしれない。歳を取ると女子大生が高校生、高校生が中学生に見えてくる。これも老いぼれの症状)。本社でさえ、こんな電話対応しかしかできないのだからやっぱり『さえき』はダメなのだ。

※ところで、家内は19日に仮退院(19日〜21日)、7月26日に退院となりました。少し(勝手な)予定より遅れましたが、リハビリに時間をかけました。ステロイド治療により、免疫力が通常時より半減しており、やっかいな自宅療養になりますが、本人はいたって元気です。あの、ぶらっとしていた足で(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=157.124.19)、再び歩けるようになりました。再発なしとは言えませんが(何しろ「多発性」という名前が付いていますから)、そんな〈可能性〉は、交通事故で死ぬ〈可能性〉と同じようにいつでもあり得ることですから考えてもしようがありません。ご心配をおかけしました。3月の入院以来、はや4ヶ月経ちました。今となっては、あっという間の4ヶ月でしたが、家事に関しては私も息子の太郎もほとんどプロ並になりました。「この際、じっくり入院して」などと本気で言うと家内が怒るくらいにプロ並みになりました。私も太郎も、やっと“大人”になったということでしょうか。いったいこの三人はどんな家族になるのでしょうか。私も楽しみです。

投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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