症状報告(16) ― 再々入院その後 2003年05月25日
「多発性硬化症」の治療自体は単純なものだ。入院するたびに毎回「髄液検査」(http://www.ne.jp/asahi/sairingi/home/ippan/ippan-sonota-1.htm)「MRI」検査(http://www.nagasaki-u.ac.jp/nyugaku/setsubi/igaku_byo01.html)を行い、「ミエリン」の異常箇所(http://mmh.banyu.co.jp/068/s068_01.html)を確認しながら ― 「多発性硬化症」とは、諸神経繊維を“絶縁”機能的に包む「髄鞘」が免疫異常のために何らかの“損傷”を受けるというもの(「髄鞘」を形成する「ミエリン」というタンパク質を免疫系が自己攻撃してしまう)、そのため神経伝達が異常を起こし、運動機能や諸感覚を麻痺させてしまう ― 、「ステロイド点滴」(1回3日間連続でそれを断続的に行う)で治療を行うというものだ。
一番、刺激的な検査はやはり「髄液検査」だ。骨髄に直接(太い)針を打ち込み、髄液を抜き取る。その中のタンパク質の変化を見て取る。「ミエリン」の異常をここで特定できる。こんな検査を誰が思いついたのだろうか。問題は、骨髄に直接(太い)針を打ち込むという外科的な技術。これは下手すると血が噴き出し、黒澤明の時代劇のような惨状を呈してしまう。骨髄にまとわりつく血管を針の出し入れの際上手に裁く腕がいるのだ。血が混じると髄液の濁り具合自体がわからなくなって、何度も太い針を打ち直さねばならなくなる。家内はすでに日赤の神経内科医3人くらいの医師の検査を“体験”しているが、神経内科部長の武田先生はさすがの腕らしい。
家内はもはや慣れっこになっているが、髄液検査の際の、お尻に近い背中の背後の看護婦、担当医の緊張感がとにもかくにも異常なくらいに高まるのがわかるらしい。3月に入院したときの生まれて初めての髄液検査の時は、「大丈夫ですからね」と婦長自らに思いっきり体全体を押さえつけられたらしい。それで余計に怖くなったらしいが(「大丈夫」だったら押さえつけないでもいいじゃないか、というふうに)、独特な痛さではあるが、何度やっても関係者は緊張しているらしい。イソジン(私はうがい薬のイソジンしか知らなかったが)をしつこいくらいに背中に塗るときから看護婦の手が震えているとのこと。たぶん、これは見ない方がいい検査なのだろう。
それ以外は、外科的にはどうということもない内科的な治療だが、(家内の場合には)ステロイドがよく効くといっても(ステロイド治療はこの病気の場合、もっとも初歩的で軽度の治療法だ)、現代の内科的な治療は副作用との戦いだ。
ステロイド治療には、私が思いつくままにあげても、?コレステロール値があがり、肝機能障害が起こる ?皮膚がかさかさになる ?顔や上腕部がふっくらする ?骨が弱り、骨粗鬆症が進行しやすくなる ?感染症にかかりやすくなる ?胃酸が多くなる ?興奮しやすくなる ?血管が収縮し高血圧化するなどなどの副作用が起こる。
これらの副作用を押さえるために、リピトール、バクタ、バイアスピリンなどの薬が併用されることになる。これらの薬もまた副作用を有しているだろうに。副作用自体の進行や程度は先の“症状”が出る前に血液検査と尿検査で大概はわかる。ステロイド点滴に血液検査と尿検査を並行させながら、副作用(や副々作用)を最小限に押さえる治療が続くことになる。
幸いなことに、家内の場合はこの2ヶ月間のステロイド治療のほとんどにおいて副作用は出ていない。わずかに顔がふっくらしたくらいか。もともと痩せているからそれもほとんどわからない(この病気の患者には太った人がいない、というのも特徴)。もともと低血圧で、胃腸や肝臓が強い(大して体力もないのに内臓は検査上は強いらしい)、というのも有利だった。
どちらにしても退屈な治療だが、足が動かないというのはそれはそれで大変。土曜日の朝入院したときには、自宅の中からもはや自分で歩けない。車椅子も用意していないから、クルマまで連れて行くこと自体が大変だった。
足が使えない人間を動かす,というのどんな感じか、わかりますか。私は介護の経験がないから、脇から抱えようとしましたが、これが結構、力がいる。家内の身長は162センチ。体重は45キロくらい。でも片脇から抱えるのでは、限界がある。それに足(が動かない)と言っても腰から下がダメなので、腰を抱えると“壊れる”ような気がしてどうも腰を抱えたり、腰にさわる気がしない。
1階玄関のエレベータのところまでは、正面から両脇を引き上げながら降りることができたが、そこから15メートル先に止めたクルマにまでどうしようもなくなり一歩も動けなくなった。これほど愛車が遠くに見えたことはない。さすがに私もどうしようもなくて笑ってしまったが(土曜の早朝ということで誰にも見られていなかったのが幸い!)、こうなったら、“だっこ”しかない。一気に身体全体を投げ上げ、48歳8ヶ月の彼女を“だっこ”(私の記憶では35年を越える家内との交際歴の中で一度あるかないかの出来事だ)。これがうまくいった。体力(とスポーツ)にはそれなりに自信があったが、久しぶりの男技(オトコワザ)だった。家内は「大丈夫? 大丈夫?」と悲鳴をあげ連呼していたが。
神経が通じていない左足は、ただぶらっとしている(この病気の症状の一番ひどいとき)。これは風景としても奇妙。どっちに向いているのかさえ本人がわからないため、下手をすると(構造的に動けない方へ曲がってしまって)関節をダメにし、骨折をする。だから症状がひどいときは家内も自分の手で自分の足の向きを整えたりしている。こういった患者を抱えて歩かせる、というのは、かなり気を遣う。“だっこ”が一番(邪魔くさくなくて)便利だが、20メートルを超えると体力的に持たない。寝たきり老人の介護などをしている人はどうなのだろう。私の家内の場合は、単なる症状の諸段階の一つに過ぎないが、動けない人間ほど扱いにくいものはないだろう。サポートの域を超えている。
私は自宅マンション・エレベータまえの1F共用玄関で立ちつくしただただ笑うしかなかった。これに似た経験が一度だけあることにそのとき気づいていた。京都若狭湾の高浜(http://masudahp.hp.infoseek.co.jp/NPark/qnpark03.html#np7)という海水浴場で小学5年生の頃、おぼれかけた20歳くらいの少し太った人にあてにされて抱きつかれ(その人の重さで一気に5メートルくらい沈んでしまって)、自分自身がおぼれそうになったことがあった。そのとき、おぼれかけている人に安易に近づいてはいけないという(小学生ながらも)教訓を得た。その教訓が、この自宅マンションの玄関で活かされていないことに気づくのが遅かった(「遅かった」は田口トモロヲ調http://www.nhk.or.jp/projectx/narrater/narrater_top.htm)。
今夜あたりから、はやくもステロイドが効き始め、足の一部が再び動き始めたらしいが、今度ばかりは徹底して治さないと体力的(体力回復的)にも悪循環になってしまうだろう(これまでのような早期の退院は期待しないほうがいい)。リハビリとステロイド治療が相乗効果的に効き始めると本格的な回復過程にはいるのだろうが、それがどの時期から始まるのか、誰にもわからない。ステロイドよりははるかに再発を止める効果のあるインターフェロンの投薬も選択肢の一つだろうが、そこまで深刻でもないとの判断も(医師グループの中には)あるようだ。こんくらべの時期なのだろう。
早期の退院は期待しないでおこうと思っていたら、今回はなぜか(運良く? 運悪く?)個室が空いていて「芦田さん、個室が空いていてよかったわね」だって。一日2万円もする。病気というのは、収入も減るし、出費もかさむ。体も弱るが社会的にも弱体化する。しかし渋谷は知ったし、広尾も(広尾ガーデンヒルズも聖心女子大学も東京女学館も)制覇した。一日2万円で何を学ぶのかが、私と家内(とついでに言えば息子)の課題だ。
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