八王子・大学セミナーハウスの青春 2003年04月20日
金曜日(4月18日)は、家内を病院に見舞った後(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=145.124.11)、八王子にある大学セミナーハウス(http://www.seminarhouse.or.jp/)に行って来た。東京工科専門学校のFMC(フレッシュマンキャンプ)が今年は「大学セミナーハウス」で行われたからだ(昨年は代々木にあるオリンピック記念青少年センターだった)。毎年、新入生を対象に1泊二日の研修を行う。名実共にこのフレッシュマン研修で新入生はわが学園の学生になる。
このセミナーハウスには、おおよそ25年ぶりになる。感慨深い。早稲田の大学院修士時代 川原栄峰ゼミ(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3aefc10412c880103cc4?aid=&kywd=%C0%EE%B8%B6%B1%C9%CA%F6&ti=&ol=&au=&pb=&pby=&pbrg=2&isbn=&age=&idx=2&gu=&st=&srch=1&s1=za&dp=)の『存在と時間』(Sein und Zeit) 講読(もちろん原典講読)研修がここであったとき以来である。私の20代から30代前半はハイデガーばかりを読んでいたから、このゼミには並々ならぬ印象があった。おまけに川原ゼミは、当時の早稲田の哲学科の教授たちすべてから完全に孤立していたから(早稲田の哲学科はサルトルの松浪信三郎(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3aefc10412c880103cc4?kywd=%BE%BE%CF%B2%BF%AE%BB%B0%CF%BA&search=%B8%A1%BA%F7&aid=&gu=&srch=1&st=&dp=10&s1=za)、ヘーゲルの樫山欽四郎(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3aefc10412c880103cc4?aid=&kywd=%B3%DF%BB%B3%B6%D6%BB%CD%CF%BA&ti=&ol=&au=&pb=&pby=&pbrg=2&isbn=&age=&idx=2&gu=&st=&srch=1&s1=za&dp=)亡き後、誰も哲学している人がいない)、それがまた私には面白かった。私はもっと孤立していたが。
私にとっての大学院時代というのは、一年かけても数ページ、数十ページしか進まない原典講読の面白さだった。中には、2、3行しかない一段落を進むのに1年かかった講読の授業もあった(今は亡き高橋允昭(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3aefc10412c880103cc4?kywd=%B9%E2%B6%B6%B0%F4%BE%BC&aid=&gu=&srch=1&st=&dp=10&s1=za)のデリダ(http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&q=%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80)講読の授業)。
ゆっくりと読む、ということは大切なことだ。あるいは、日本語的に言えば、助詞の使い方の一つ一つに思想の決定的な要素を読みとる訓練は、私にとっては、この時代においてのことだ。
でも、そのことと自分が今後どんなふうに生きていくのかということとは全くつながっていなかった(「校長先生」の今でさえそうだ)。別に大学教授になりたいわけでもなく、かといってサラリーマンになって仕事をしたいわけではなく、そもそも大学院に進学したのも、いい年をして本を読むことについて、言い訳なしに過ごせる環境が欲しかっただけのことだ。
当時、私には、自分の将来のイメージが全くなかった。専門学校の校長になって、この大学セミナーハウスを再度訪れるなんて、神様さえも予想してはいなかっただろう。今、専門学校の校長という職にあって、若い学生たちの進路をヘルプするのが私の役目だが、「進路」なんて、誰がわかるというのだろうか。私にとって、進路とは、進路を考えなくても済む専門性や自立性を身につけることでしかない。
専門学校生は、なぜ、大学生に負けてしまうのか。答えははっきりしている。大学生は勉強しない(=授業に出ない)からだ。勉強しないで遊んでばかりいる。アルバイトばかりしている。そうやって、友達との“コミュニケーション”のノウハウや職場の人間関係(“店長”とのコミュニケーション、同僚や顧客へのコミュニケーション、新アルバイト者への指導)を学ぶ。そうやって、授業では得られない理解力や表現力や指導力を身につける。むしろ大学生の方が、職業教育の基本を身につけている。それに反して、専門学校生は仕事の専門知識や技術ばかりを朝から夕方まで学校(=教室)で学ぶ。だから、本当の職業教育を体験しているのは、むしろ大学生の方だと言えば言える。
特に、社会が知的に高度化して(第三次産業が70%近くにもなり)、仕事のほとんどがサービス産業になっている今日の日本では、仕事能力の実体のほとんどは、理解力・表現力・指導力(リーダーシップ)にほかならない。「専門性」とは或る意味で後進国の徴表に他ならない。現に今日の日本において「専門家」とは組織の中の部品に他ならない。それは使われる存在であて、組織のリーダーの特徴ではない。たとえば、イラクの戦争で出てくるアラブ学者(アラブの専門家)は、テレビに使われているというようにして。その意味では専門学校生が組織や社会のリーダーになる契機は何もない。大学教授も専門学校生も分類された引き出しの中に入っている人材に過ぎない。
しかし専門学校生に今さら、学校へ来るな、アルバイトをして人間関係を学べ、などというわけにもいかない。そういったとき、私は、学生たちに、〈社会〉や〈親〉や〈恋人〉を忘れるくらいに没頭できるもの、自信のあるものを見つけろ、と言っている。専門学校とは、単に、専門知識や技術を身につけるところではなく、没頭できるもの、自信のあるものを身につけるところだ。そういった自信が、理解力・表現力・指導力の、最もまっとうな源泉だ。自信がつけば、人の話を聞く聞き方もわかるようになる、自分の身につけた知識や技術を組織したくなる、教えたくなる、そんなものだ。大学生は、能力の実体が何もないまま、ただ「話がうまい」だけだ。これでは先が見えている。
一人の人間が、自分に適した会社を見つけることなどありそうでないことだ。満足しようと思えば、どんな会社でもそれなりの過ごし方があるし、不満だと思えば、どんな大きな会社でも有望な会社でも不満だ。だから、大切なことは、一生涯に渡って現役であり得るような何かを見出すことだ。世界のすべてがことごとく変化しても、あるいは世界が死滅しても、これだけはやり続けていられるというような何かを見出すことが決定的なことだ。専門性の真の意味は、生涯研鑽を積んでもなお先がありそうな深みを感じられるものに出会えるかどうかにかかわっている。したがって、それはあれこれの具体的な仕事や会社への就職とは別のことだ。学校は就職センターではない。専門学校でさえそうだ。一生涯続けていける知識や技術の深みに出会えるところ、それが〈学校〉というところだ。
私はそういったものは、人間が20歳前後の時にしか得られないものだと思っている。30歳、40歳で右往左往し始めると、何が自分にとって大切なことなのか(あるいは〈自分〉や〈世間〉や〈身内〉を越えた大切なものが何であるのか)を見極めるのが難しい。その年齢では社会的な負荷がかかりすぎていて(経験を積みすぎ賢くなりすぎていて)、〈純粋性〉に欠けるからだ。
逆に若いくせに、最初から自信に満ちている“奴”もイヤなものだ。若いときには自己嫌悪の極点くらいのところにいるのがいちばんいい。そういう若者だけが真の専門性を見出すことができる。私は、高等教育全般(大学であれ、専門学校であれ)は、若い奴らの自尊心を破壊するところ(真の専門性の気高さを感じさせるところ)だと思っている。
そう思いながら、休憩時間、大学センター本部前の広い庭で遊ぶ学生たちを見ていた。ここは、テニス、バスケットボール、バレーボール、卓球、サッカーなど何でもできる。
100人くらいのわが学生たちが、そのすべてをやり始めた。バレーボールをはじめた女の子たちの輪に男子学生がなかなか入れない。入ればいいのに、(入りたいのに)じっと立って見ている。ヤンキーな男子学生がとまどっている姿を見るのもなかなかいい。こういった気持ちにはもうだいぶ遠ざかっている自分に気が付いた。「一緒にやれよ」と言っても恥ずかしそうにしている。「一緒にやれよ」というのは、この若い子たちにとっては大人の無神経なアドバイスなのだ。
この子たちの“現役性”を、専門的な現役性に変えるのが私の仕事だ。私が25年前に現役であった哲学は、今でも、今こそ現役だ。それを育んだ大学セミナーハウスの中庭に私の学生たちが新たな、別の現役を担うべく、私の眼前に広がっている。〈専門性〉に年齢はない。いつでもかかってこい。これが、私のフレッシュマンキャンプのあいさつだ。
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先生かっこいいんですけど(最後の方)