症状報告(10) ― この病こそ、気の病。 2003年04月15日
日頃、家内に優しくしていない夫というのは、彼女が病気になっても優しくできない。たぶん、彼女が死ぬときにも嘯(うそぶ)いているのではないだろうか。だから、彼女が昨日の夜中、つり気味の片足をさすってほしい、と言ってもとてもそんなことはできない。1300名の前で入学式の式辞(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=143)を話す方がはるかに楽だ。いざというときに親切にできるくらいなら、いつだって親切にできる。逆ではないのだ。私にとっては、車椅子を押すのと、靴を履かせてやるところまでが限界。これ以上は恥ずかしくて、恥ずかしくて死んでも無理。
5日に退院して、15日に再入院。12日の土曜日までは神経もかなり戻ってきて、順調だったが、日曜日あたりから少し変だったらしい。(自宅療養中の)薬は予防薬だけが処方されていて、治療薬は皆無だったから、お医者さんの方も順調すぎる回復に楽観しすぎたのかもしれない。
今日も早速、骨髄検査とMRI検査(もちろん、その前に血液検査と心電図検査)をしたが、全く異常なし。「再発」ではあるが軽度らしい。たしかに以前よりははるかにいい。しかし相変わらず、個室は満員。今回も6人部屋でおばあちゃん部屋。
5日に帰ってきてからは、彼女も出勤のない日曜日と同じような暮らし(家事や家計など)をしていたから、それもいけなかったのかもしれない。私や息子がいないときにはゆっくり休んで、というわけにもいかなかったのかもしれない。病人が家に帰る、というのも難しいことだ。要するに、こちら側(私と息子)の配慮が足りなかったということか。私も息子も普段と変わらない生活をしていたことを、今さら反省してもしようがない。
たぶん、「多発性硬化症」なんていう免疫異常の病気は、120%くらいが精神病(気の病としての)だと思う。「多発性硬化症」も「免疫異常」も、病名でも何でもない。それは症状(“現象”)を名指しているだけであって、“原因”ではない。だから「難病」なのだ。気の病だとすれば、私の“態度”が変わらない限り、治らないのかもしれない。だとすると、治らないのかな。
今日も病院へ私のクルマで送っていく途中、助手席で「(病院じゃない)違うところへ行きたい」と言っていた。「せっかく、たくさんの人に退院のお祝いを頂いたのに」とも言っていた。私は、それでも、黙って聞こえない振りをしていた。
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