私立中学か、公立中学か、Hさんの家族へ(part3) ― 私は本気です。 2003年02月17日
今日は、私の家内が電車の中で(折良く)実際に聞いた話の報告です。できるだけ忠実にまとめてみました。今、都内の電車やホテルは受験生にあふれています。今日、家内が出会った風景もその風景の一つです。
一人の母親が知人の女性と今日の昼の山手線で話していた。その母親は、息子が私立高校を受験して、第一志望は失敗し、第二志望に合格。たった今、その二次志望の私立高校に入学金を払ってきたばかり。
「都立高校なんてひどいものだし、遊んじゃうし、私立の二次志望に受かっただけでもありがたいと思わなきゃ。しようがないわよね。そうよね」と知人に相づちを求める。
「そうよ、そうよ、別に悪い学校じゃないし」と隣の婦人は冷静。「その日は、(第一志望の私立高校の)受験に行くときから、不安がって、自信がなさそうだったし」
「そしたら、案の定、『調子が悪かった』『ダメかも知れない』なんて言って、帰ってきたのよ。この子って本番に弱いタイプなんだ、と思ったりして」
「でもね、これでいいよね。都立高校に行くよりはましよね」「私ができることと言えば、入学金を出すくらいのことしかないし」「やれるだけことはやったからいいんじゃない、って息子に言ったのよ」などと、隣の友人にひたすら相づちを求める様子。諦めきれない。
息子の受験を悔いており、友人にひたすら慰めてほしいという感じが誰にでもわかるようだった。
ところが、その話は昼間の山手線、まわりのみんなに何気なく聞こえていた。斜め前に立っていた(その二人の母親たちに背を向けて立っていた)中高生ふうの男の子が、突然、「てめえ、うるせぇんだよ」とくるっと母親たちの方を振り向いた。
「(息子に)なにしてやったって言うんだよ」「(息子のことを)真剣に考えてたのかよ」「金出しゃいいってもんじゃないだよ」「(これからの)3年間どうしろっていうんだよ」「誰が落ちると思って受けるんだよ。そんなことあるわけないだろ。わかってねぇんだよ、結局」と、捨てぜりふを一気にはき続けた。
母親たちはその少年が“切れた”と思って、席を立って逃げようとした。まわりのサラリーマンふうの大人の人が、「君、やめな」と手を男の子の肩に当てて、少年の動きを止めようとした。
近くにいた私の家内は、そのとき「大丈夫みたいですよ」と少年の顔を見ながら、そのサラリーマンに合図を送った。サラリーマンもその意味をよくわかっていた。
少年は「大丈夫みたいですよ」と言った家内の顔を「おまえ(たち)も聞いていたのかよ」という感じで悲しそうな顔をしていた。そうこうするうちに二人の母親たちは、他の車両に移っていた。
まるで、“都立”の“不良少年”の災難にあったかのようにして。
私の家内の観察では、その子もまた、高校受験生のように見えたらしい。同じように不本意な高校の入学手続きの帰りであったようにも見えたらしい。
要するに、(新中間層が肥大化した)東京において私立受験をさせる母親のほとんどが、こういった子供との距離の中で子供を育てているのである。
こんなものを子育てとは言わない。子育ての放棄にすぎない。家族にまで「世間」が侵入している事態に子供たちは息切れしているのである。
なぜ母親たちは、子供に直接に向かわないのか。なぜ自分の子供に直接に向かわないで、勝手に自分の子供のことを嘆いているのか。「わかってねぇんだよ、結局」。この少年の家族に幸あれ。この少年の怒りのNobilityに幸あれ。
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