ウォシュレットが“完成”しない理由について 2002年09月22日
註:この記事を読む人は、必ず「芦田の毎日」55番:それでもウォシュレットは間違っている(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=55.53.1)を読んでからにしてください。
ウォシュレットが温水吹きつけに失敗しているのには訳があると思われる。テレビ(「プロジェクトX」)では、温水の温度が38度前後というのを発見するのに多くの社員の協力を得たと言っていたが、私にはこんなことが大変だったとは思われない。単に、「熱い」「熱すぎる」「冷たい」「冷たすぎる」などという“報告(間接報告)”を集めれば、誰にだって38度前後という温水温度の最適値は決めることができる。こんなことが、「プロジェクトX」ふうに大変なことだったとはとても思えない。
なぜ、ウンチの肉片が飛び散る温水吹き出しが解消されないのか? 理由は、この問題の解消には、実際のウンチが温水の吹き出しによって飛び散る様(さま)をビデオ撮影か何かによって記録し、分析する必要があるからであって、この撮影実験に(こそ)協力するのは、なかなか勇気のいることだろうからだ。しかもウンチの出る様(さま)は、人によって色々、ひとりの同じ人であっても日によって(あるいは一日の中でも)異なるだろうから、肛門付近のウンチの肉片の付き方(切れ方)は、他の代理物の何によってもシミュレーションできない(私のウォシュレット論に賛意を示してくれた人に後で聞いた話では、痔で悩んでいる人には、“飛散”の問題はもっと深刻らしい)。これだけは、多くの実際の飛散“症例”を集めなければ、“最適値”を得られないのだ。吹き出し温水の適温化のための実験についてさえ、「勇気がいった」などとテレビ(プロジェクトX)にするくらいのTOTOで、ましてウンチの肉片の飛散状況をビデオ収録させる社員や関係者(家族など)がいるとは思えない。
だから、(実験のできる)水流や汚れの付かないウォシュレットを作ることはできても、肝心のウンチを正しく洗うことのできるウォシュレットを作ることができない。実験そのものができていないからだ。しかし「お尻だって洗って欲しい」と中畑貴志(http://www.mskj.or.jp/chinika/9309cnk7opinion.html)にコピーまで作らせておいて、実際のところ洗えていない製品を作りつづけることは、やはり企業の社会的使命(ミッション)を果たしていないことになるのではないか。単にウンチを見せるのは恥ずかしいだけの理由で(それならどんな会社も一緒だ)、“正しい商品”が作れない。それはやはりおかしい。
テレビ(プロジェクトX)では、“ご不浄”などと言われて日常差別されている便器を仕事にすることのプライドがテーマにされていた。また便器を一般新聞誌で宣伝することには多くの反発があった、などと苦心の商品化の過程が取り上げられていたが、肝心の実験をしていないTOTO自身がいまだなお“ご不浄”観に包まれていて、ウンチを“商品化”できていないということだ。私は、こういった問題を「商品偏差値が低い」というふうに呼ぶことにしている。その商品に取り組んでいる商品の商品化偏差値が低いため、いつまで経っても完成品が出てこない。便器は当然のこと、カバンや(大半の)住宅・マンションなどもそうだが、こりゃすごい、とおどろくほどの商品が出てこない(偏差値の低い)領域がいくつかある。こういったことはなぜおこるのだろうか。
私は、TOTOもINAも松下も“正しい”ウォシュレットは作れないような気がする。本当の実験をして、正しく洗い流す“ウォシュレット”は、お尻を出しても(飛散するウンチを見せても)恥ずかしくないような志のある社員がいる会社でしか作れない。商品偏差値が低くなるのは、企業が前進する(絶えず前進しようとする)気概を持たないからだ。それがなくなると“付加価値戦略”とか言い始めて、いらないものばかりを作り始める。挙げ句の果てに、消費者が選択できる(オーダーメイドの)商品、などと宣伝し始める。そうやって、肝心の商品本体(商品の基本機能)の改革から目をそらし始める。〈初心〉を忘れ始めるのだ。“ウォシュレット”はその段階(没落の段階)に入り始めている。大企業になったTOTOには、高学歴、高偏差値の人しかいなくて、お尻を差し出す人がもはやいない。高偏差値であることと商品偏差値とは何の関係もない。あなたの会社には“お尻を差し出す人”が何人いますか?
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