広島行きはとんぼ返り(帰り)。 2002年09月01日
広島出張(28日水曜日)http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=45は、前の週の軽井沢出張(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=41)の疲れが取れておらず、木、金の仕事が全然はかどらなかった。月曜日(26日)から、のどがいたくて、漢方を飲み続けていたが、やはりひどい風邪にかかっていたようだ。抗生物質を飲んでおけば良かったが気づいたときはおそかった。したがって、この土日はおとなしく休養に当てるしかない。
広島までは、羽田から1時間10分(機内時間)。大阪、博多、北海道までも、飛行機で行けば、だいたい1時間30分以内で全国に飛べる。便利なことだと思った。機内時間で1時間というのは、あっという間の出来事。パソコンをやる気も起こらない。面白くないのは、羽田空港。運悪く、飛行機まではバスで移動。これが長かった。しかもクーラーの利きが悪く、立ちっぱなしで5分から10分もかかった(実際は5分くらいだったろうが、広島までより遠く感じた)。
飛行機は何といってもスチュワーデス(”スッチー”)だ。この日も7人の“スッチー”がいた(が、私の最後部のエリアはもちろん3人くらい)。私が興味があるのは、これだけの女性だけの職場では、仲がいい人、悪い人が必ずいるだろう、ということ。それを見抜くのが楽しい。指図(同僚の、あるいは先輩の)を聞いて、イヤな(腑に落ちない)顔をした子がひとりいた。指図の内容というより、ウマがあわないのだ、きっと。
この娘達は、“有名”な大学を(優秀な成績で)卒業してこの職場にいるのだろうが、何が楽しくて、こんな仕事をしているのだろう(最近では契約社員でいい加減な娘も多いらしいが)。疲労しか残らないじゃないか。この飛行機(JAS)では、救命胴着などの説明がビデオで行われず、”スッチー”自身のジェスチャーで行われて、その仕草が楽しかったが、そのあとは、飲み物類のサービスをして、まなざしを何処に向けるともなくひとりお客様の席の方を向いて座り続けているだけ。こんなことをするために何も大学にまで進んで勉強することもあるまい。
しかもこれは国内線。たぶん国際線“スッチー”と(社内では)大した根拠もなく差別されているはず。つまらないことだ。“スッチー”が若い女性の花形の職場というのは、もはや“後進国”の徴表でしかないというのに、今さら、なぜこんな仕事をしているのか。それとも、飛行機は生死と裏腹で、その乗客は死の共同体の成員だという意味で、どうせ死ぬなら美しい娘達と共に、という意味でも込められているのか。そういえば、同じように死と裏腹のF1レーサー達の周りには、美しいコンパニオンガールがいるが、音速の飛行機に乗る私たちはそのときだけはレーサーと同じだ。そう考えれば、腑に落ちないこともない。
広島空港は、広島市内から(クルマで)1時間も遠いところにある。都内と成田空港くらいに距離がある。市街を少し離れれば土地の余っている広島で、この距離は何だ、と思っていたら、出迎えの先生から、福山との中間に作りたかったらしい、というのを聞いた。たぶん、色々な利権が動いたのだろう。広島に2時半に着いて、講演先は高速道路ICで「沼田」というところにある。広島工業大学のセミナーハウスだ。講演は、パワーポイントの半分も行かないうちに2時間(予定は1時間半)が経ってしまって、ざんねんだった。話が盛り上がりすぎて、前半に時間を取りすぎてしまった(本当は後半の方がもっと盛り上がるはずだったのだが)。「コマシラバス」とか「社会人教育」、あるいは「自己評価」「自己点検」という話題を私にしゃべらせる気のある人たちは、5時間くらいは私に下さい(バトルトークの質問会付きで)。そうでないと時間が足りません。帰りもほとんど挨拶する時間もなく(広島工業大学の総長も挨拶してくださったが)、ちょうど取材に来ていたリクルートの人たちに空港まで送ってもらった。要するに広島市内は、ただ通過しただけで、空港と沼田を往復しただけ。
空港に再度着いたのが夜7:00すぎ。JAL176便(20:10発)まではまだ時間が少しある。リクルートの広島支社の人たちと空港内のファミレスに入って食事(何と広島では、ファミレスにもお好み焼きがある!)。四国・中国地方の大学、専門学校の募集状況の話などをしながら、半日の広島を後にした。
帰りのJALは、JASよりはるかに機体がよかったが、しかし着地が下手。パイロットがJASより下手だった(“スッチー”も、JASの勝ち)。車輪の右側を着地の瞬間わずかにバウンドさせていた。離陸と着地は、飛行機の生命線だ。もっと神経を使うべきだと思う。JALも羽田では、着いてからは、バスで“輸送”された。こういった輸送は囚人の移動のように降りてはいけないところの移動と同じで、窮屈な感じだ。特に帰りの旅客が多いこの時間帯だと、疲れがここで絶頂に達する。
帰りの京浜急行では、出張帰りのサラリーマンのカバンが気になった。スーツの着こなしも気になるが、それ以上にカバンが気になる。スーツがいいのにカバンが良くない人はいるが、カバンがいいとスーツはいい。そういった“関係”はありそうだ。
もっと気になったのは、京浜急行。京浜急行の人(日常的な旅客)は、行儀が悪い。一列に並んで列車を待たない。バラバラにホームに散らばっている。これでは大阪と同じだ。もともと東京の人たちは、ルールをよく守る。それは東京が田舎者の集まりのためだ。田舎者ということは、他者同士ということと同じだから、ルールを守らないと共同生活ができない(だから世界最大の田舎者の集まりであるアメリカでは弁護士が捨てるくらいに多い)。地方は、すべてが(ほとんどが)地元の人たち。だから、道も、店も、ホームまですべては自分のもの(自分のものでなければ、知った人のもの)。だから自分がルールになってしまう。方向指示器も出さずに道を曲がる。ブレーキを踏んでから、ウインカーを出す。とんでもないことだ。たぶん、京浜急行も品川以西では、地元の人が多い鉄道なのだろう。
そうこうするうちに、テラハウスに戻ったのは、11時(23時)をすぎていた。忙しい一日だった。風邪によるのどの痛さはもう限界に達していた。
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