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 ワールドカップ・トルコ戦速報(歴史の切断について) 2002年06月18日

 強さというものは、こういったものなのだろう。最初から勝つ気がしなかった。1点取れば(同点になれば)勝つと思ったが、その1点が遠かった。こういった苦敗(あえて惜敗とは言わずに苦敗と言っておこう)が、次のステップに繋がるのだろう。

 予選突破も、「ドーハの悲劇」が支えてくれていたものだった。前監督岡田武史(http://www.waseda.ac.jp/student/weekly/people/obg-838.html)も「歴史が必要なんです」と直後の解説で話していた(NHK)。

 私に言わせれば、それは、何か溜(ため)のようなものだ。日常的な〈生活〉に追われていると溜(ため)がなくなる。放出ばかりだ。〈生活〉は存在するものの表現にすぎないからだ。そこには跳躍がない。

 「いい試合」や「いいプレー」をいくら重ねても勝つことは出来ない。〈勝つ〉ということは、一つの跳躍であって、単なる連続的な上昇のプロセスでは達し得ない何かなのだと思う。

 勝つことには切断の経験があるのだ。その意味で、岡田武史の言う〈歴史〉とは、連続性とは正反対のもの、一つの切断を意味している。これは、今後活かされる“負けの経験”というよりは、本質的に非経験的なものであり、だからこそ、貴重なものなのだと言える。

 何とも言えない重苦しさがあるが(明日学校を休みたいな … )、それは、経験できないものの重苦しさ、〈歴史〉の切断に面した重苦しさなのである。日本イレブンに万歳!

投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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