2002年度入学式式辞 ― インターネットと年収300万円時代 2002年04月09日
ご入学おめでとうございます。
専門学校を選択された皆さんは、卒業後の自分についてのイメージを具体的に持たれていると思いますが、たぶん、その想像が追いつかないくらいに社会は大きく変化しています。
一番、大きな変化は、ここ20年、30年後には、30歳、40歳のサラリーマンの年収が500万円台を超えない時代に突入するだろうということ。もはや共稼ぎなしには日本の家計は担えないだろうということです。
この年代の人たちは「中間管理職」と言われてきた人なのですが、インターネット時代において、この人たちの使命の半分以上がなくなりました。ちょうど皆さんのお父さんの世代の人たちこそが、悪くいえばインターネット時代の犠牲者になっているわけです。
もともと、この人たちは、組織の下部の状況を上部の人に伝え、上部の意向を下部の人たちに伝える役目をしていました。そういう仕方でトップの決断がなされやすい環境を作ってきたわけです。
しかし、今日の会社や会社のトップは、内外に張り巡らされているインターネット・ネットワークによって、直に現場で起こっていることを把握できるようになっています。
「中間管理職」と言われる多くの人たちの仕事は、情報収集と情報提供だったわけです。
インターネット時代は、この「中間管理職」という職域を完全に駆逐しました。
コンビニエンスストアを想像してください。ここでは、何が売れているか、売れなかったのかがバーコードによって、ネットワークを介して社長さんにリアルタイムでわかるようになっています。中間に立つ、伝える人は不要なのです。コンビニは早くから「中間管理職」なしの体制を敷いてきました。社長(社長周辺)とアルバイトがいれば、それで、24時間、全国展開のコンビニを運営できるのです。
それがあらゆる業態にまで拡大しつつあるのが、今日のインターネット・ネットワーク時代です。
コンビニを含めて若い人たちがフリータ化していますが、この現象は、若い人たちに限らず、皆さんのお父さんの世代も含めて、仕事の現場全体がフリータ化していくことを意味しています。お父さんと娘がコンビニで一緒に働くというのもありえないことではないということです。場合によっては、そこにお母さんも登場するわけです。
大失業時代は、今はやりの言葉で言えば、「構造的」なものであって、景気循環の一局面ではないのです。
年代を超えた数多くのフリータ(あるいはNPO)と少数の社長周辺だけが存在する。それが、失業者問題の本質です。つまり失業問題は永遠に解決しないということです。
もう一つは、グローバル化ということです。
インターネット時代は、グローバルな時代だといわれています。
グローバル化というのは、20年前にはやった「国際化」とはことなります。国際化は、まだ国という単位が前提になっていました。国と国との“際”がまだ存在したわけです。
グローバルというのは、国際化と違って、世界全体がマーケットとしても、資源供給、人材供給としても単一化されたということです。
このことの一番の打撃を受けているのが、学歴社会です。
学歴は、日本という固有の基盤の上でこそ可能でした。皆さんは、アメリカ人をみるとき、あるいはアジアの人を見るときに、偏差値や学歴を気にすることがありますか。それよりは、その人が内容として何ができるのかということに注意しようとするでしょう。国籍や民族が違えば、学歴という尺度が、きわめて希薄な尺度であることがわかります。
世界で10番以内くらいの、誰でもが知っている大学ならいざしらず、それ以降の大学は、出ていても、ほとんど意味がありません。「知っている」といっても、お隣の韓国では、「東大」より「早稲田」の方が知られていたりします。何が基準だか、何が評価だかわからないわけです。
もちろん、日本の大学は、東大であっても、世界大では番外であって、アジアのベスト100の大学でさえも日本の大学は多くても20校程度しか入っていません。最近報告された、スイスの調査機関によれば、日本の大学は主要49カ国中、最下位でした。
つまりほとんどの日本の大学生は、その学歴だけでは、このグローバルな人材要求の社会において、役立たずになるということです。
マクドナルドは、世界中の肉の中でそのつど一番安い物を絶えず輸入しようとしています。だから100円でもハンバーグを売ることができます。パソコンの価格競争も世界大の市場からの部品供給でもって成立しています。
これらの世界では、〈ブランド〉(=固定された仕入れ先)は存在していません。絶えず、更新され続ける性能と価格だけが選択の基準なのです。
同じように、人材も世界中の中で一番安い、それでいて一番有能な人間を集めようとしはじめます。
大学を出ているから給料が高い、という時代は終わったのです。皆さんのライバルは、塾に通う友達ではなくて、世界なのです。
先ほどお話しした中間管理職がいなくなったというのも、世界中から人材を集めることができるため、長い時間を使って、社員を教育する必要がなくなってきたということでもあります。
係長、課長、部長というのは、その意味では、社員教育の長い道程だったのです。それは、こういった中間管理職層を形成してきた大学教育が無力であった、全く貢献できなかったことのあらわれでもあります。
インターネットは、国籍を超えただけではなく、会社組織の壁もまた超えたわけです。
さらに、学歴社会が崩壊する局面は、もう一つあります。それは前半でお話しした中間管理職が存在しなくなるということと関係しています。
中間管理職が存在しなくなるということは、終身雇用が崩壊するということを意味しています。給料が右肩上がりで上がっていくということ(=出世)があるからこそ、終身雇用が成立していたわけです。
みんなが一生この会社にいようと思っていたのは、給料があがる、つまり中間管理職層(出世の階段)が厚く、高く存在していたからです。
しかし40歳を過ぎても年収が500万を超えないとしたら、転職動機は高まります。いくら働いても給料が上がらないとしたら、やめるしかありません。
二次就職、三次就職が横行するということです。
ところが、この二次就職、三次就職には、学歴が通用しません。
学歴が有効であったのは(有効であるかに見えたのは)、一次就職(新卒就職)までのことです。
二次就職、三次就職では、その人の、社会人、企業人としての業績だけが問われます。「東大卒」であっても、業績が乏しければ、かえって恥ずかしいことになります。
逆に言うと学歴で成功したかに見えるのは、終身雇用が安定的に機能していた時代のことです。教育歴だけで就職が最終決定された時代のことです。そこが、中間管理職層の解体によって、なくなってしまったということ。
この事態は、しかし、すでに女性には自明なものでした。女性は妊娠・出産で終身雇用が寸断されて、二次就職を余儀なくされていました。そして二次就職では、「東大卒です」といっても何の役にも立たなかったわけです。「東大卒」であっても、二次就職においては、時給800円のスーパーのレジに立つしかなかったわけです。
したがって、二次就職を余儀なくされる女性は、教養主義的な短大を捨て、技術の身に付く専門学校を選択し始めたのです。少なくとも短大の英文学部はここ数年ですべて解体するでしょう。新卒では「東大」に負けても、出産、育児後は、高度資格を持っていた方が有利だということを実感しているからです。
しかしこれからは、女性に限らずこういった二次就職を前にしての学歴のむなしさがもっとどんどん前面化するだろうということ。
さてそうすると、皆さんは今、何に備えなくてはならないのかということです。
そこそこの能力がある、そこそこの仕事ができる、という人材では、期待される人材にはなれないということです。
そこそこの優秀な人がたくさんいる会社は、もはや必要ではなく、優秀な人が一人いれば、“大企業”になりうる、そういった組織や仕事のイメージが、あなたがたが、ここ10年、20年で体験するだろう企業活動の実際なのです。
極端に言うと、アルバイト(フリータ)とトップ(社長)しかいない会社組織が数多く生まれるだろうということです。
そうすると、専門学校でわざわざ学ぶ意味はどこにあるのかが、みなさんに突きつけられている課題になります。
結局、それは高度技術、高度知識の習得ということになります。
「高度」ということはどういうことでしょうか。
それは、〈自立〉ということです。
ただ単に車の修理ができるだけではなくて(たとえば「自動車整備科」の学生にとっては)、お客さんを待たせないで車を修理するには、仕事仲間とのどんな連携がそれを可能にするのか、ということまで考えることができることです。そういったことが考えられるようになれば、みなさんはもう〈トップ〉なのです。
トップというのは、何も大会社の社長だけを意味しません。小さな会社であっても大きな会社であっても、あるいは一人であっても、トップとは絶えず〈全体〉を考えることのできる人、時間的に言えば、中期、長期の視点から自分の現在の仕事の課題を考えることができる人のことをいいます。
今日一日を一ヶ月という間隔をおいて考えられる、一年という間隔において考えられる、10年、20年という間隔で考えられる、それが〈トップ〉の思考です。
今日の、この入学式、この専門学校の2年間を30年後のあなたを想定しながら思い浮かべることができますか。それがトップの、入学式についての思考というものです。そこが、アルバイトとトップとの違いです。
つまり、これからの職業人の課題は、アルバイトで終わるか、トップになるのか、この二つの選択しかありません。
しかし、答えはすでに自明です。
皆さんが専門学校を選んだ、そして専門学校の中でもわが学園をお選びになったことの意味は、まさに自立した、トップになるための勉学と研鑽とを自らに課されたということだと思います。
他人の指図がないと動けない人間、他人の評価なしに自らを評価できない人間、そういった人間はもはや時代の要求する人材ではないし、ましてや時代をリードする人材でもありません。
国家だとか組織だとかブランドを背負わなくても仕事ができる人材こそが、これからの日本、これからの会社において、つまり世界において必要とされている人材です。
20年後、30年後においてもなお、社会のリーダーとして新鮮な提案をし続ける人材を作ることこそが、私たちが、皆さんを受け入れる意味と使命だと思っています。
皆さんへのそういった期待とわが学園の使命の幸福な出会いをここに祝して、式辞に代えたいと思います。
平成14年4月9日(於:中野サンプラザ)
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