なぜ、田中真紀子を批判するのか? 2001年11月12日
田中真紀子がどうしようもないのはわかるが、野党である民主党の菅直人までもが「国益や外交の連続性を損ねる」と言って彼女を批判するのはどういうことだ。
大臣が何もしていないというのはどこの省庁でも同じなのに、与党のように「国益」を口にするのはどういうことか。今の官僚システムで「国益」を守っているところなどどこもない。「官益」を守っているところはあっても、「国益」など何一つ守っていない。だからこそ、“構造改革”だったのではないのか。民主党の、田中真紀子攻撃でほくそ笑んでいるのは、外務官僚と“国益”派の自民党議員たちにすぎない。こんな連中のいう“国益”というのは私益にすぎない。菅直人は田中真紀子を批判する前に外務省を批判すべきなのである。それが“政治”というものだろう。
「業務の連続性」だとか言うけれどもほとんどは私益の連続性を保持することだけが関心のありかなのだから、ほとんど無視すればいい。すべての外務官僚をクビにしても、今の外交程度ならば、三井物産でも充分にこなせるはずだ。「連続性」なんて言い出したら、すべての企業では人材更新や戦略転換をできなくなる。ダメな管理職ほど「業務の連続性」を主張してなわばりや権益を拡大していくのである。外務省であっても例外ではない。
なぜ、野党である民主党が官僚に嫌われている田中真紀子を攻撃するのか、全く意味不明だ。たぶん攻撃しやすいからだろうが、そういった攻撃のしやすい大臣を相手にする暇があるのなら、最近怪しげな石原伸晃(行革担当大臣)あたりを体系的に攻撃して、“構造改革”の言質を取ることのほうがよほど重要な気がする。与党が弱いものいじめをするのはわかるが、野党が弱いものいじめをするというのは、最初から政権をとる気がない卑屈な戦略だと言わざるを得ない。
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