貿易センタービル、NIMDAウイルス、叔母の死 2001年10月01日
貿易センタービルの破壊以降、“トラウマ”が残り、「毎日」なんてスパンでものを書いている場合ではないなと思い始め、書きしぶっていたときに、話題のNIMDAウイルスにテラハウスサーバーをやられてしまった。ウイルス駆除のため三日三晩サーバーのファイルをチェックさせたら、今度はそのフル稼働させたハードデスクが自滅。新パンフレットができて、大事なときなのにホームページが動かない(やっと本日仮復旧しました)。ホームページが動いていないのに、「毎日」だけを書き続けるのもヘンだし。
とおもいながら、9月末の土日には「毎日」を書いてみようと思っていたら、土曜日の朝早く、わたしの叔母(父の姉)が82才で往生。急遽帰京(今年1月の義理の叔母の死以来の帰京だhttp://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&v=234&e=msg&lp=234&st=)。15年前の輸血でC型肝炎ウイルスにやられて以来、それなりに元気でいた叔母だったが、とうとう逝ってしまった。私は18才のときに急性白血病で父を失っているが、それ以来、陰に陽に手助けしてくれた叔母だった。最近も連続テレビで有名な丹後半島香住で獲れたてのイカを送ってくれたりして、息子もそのイカを大好物にしていた(スーパーのイカは白いが本当のイカはグレー色に黒くくすんでいて、しかし噛むとしっとりとした歯ごたえがあることを息子が知ったのはこの叔母の贈り物からだ)。
40代も半ばをすぎると、“叔父”、“叔母”という関係にあった人たちが次々に逝ってしまう(私は定期健康診断を受けない非常識と同じ非常識で礼服も数珠も持っていない。そろそろ買いそろえなくてはいけない。こういった常識に並び始めると人並みに「社会人」という感じか。嗚呼。本当は「社会」なんてどこにも存在していないのに)。
私の父自体は46才で死んでいるから、すべての叔父、叔母の死の先輩で、私の父に比べればみんな良く長生きをしたもんだ、と思ったりもするが、しかし短命であれ、寿命であれ、いつ死んでも死は悲しいらしい。みんな、お棺に花を捧げるときには泣いていた。
お葬式というのは不思議な出来事だ。だれも予告や宣伝をしていないのに(広報費を一切かけないのに)、瞬時に人が集まる。しかもその商品(死)には実体がない。長い間会わないことと死んで会えないこととの間には実体的な差異がない。小学校の時の同級生の死なんて、死んでいても生きていても差異がない。そんな実体のない商品に広報もなしに人が集まる。もっとも、広報なんて、もともと実体のないものだ。ひょっとしたら、死こそが最大の広報、最大の記号なのかもしれない。
葬式は、その人の生きているときのプレゼンス、最後のプレゼンスだという言い方もあり得るが、それは嘘だ。生きていることに証明も最後もない。人は証明する前にバレているし、最後に至る前に終わっている場合もある。葬式が教えることは、生きていることに終わりも始まりもないということだ。〈社会〉がつまらないように、〈生〉もつまらないものだ。
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