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 公共性と民主主義(返信) 2001年09月18日

とんまなことを言ってはいけません(http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=418&e=res&lp=408&st=0)。日本の「公共性」は、田中角栄や族議員の存在によってかろうじて保たれてきました。

都市中心の市場主義的な動きに歯止めをかけてきたのは、自民党そのものです。それに比べれば、旧社会党や共産党といったあなたの属する左翼政党の方がはるかに反動的な公共性を訴え続けてきたわけです。あなたの政党がかつて兄弟党として尊敬したソ連や中国の公共主義政策は、地方を貧困の極地にまで追い込みました。これが、あなたがマルクスまでも引用して言う公共性と相補的な市場原理の実体です。

「マルクスの言う「ブルジョア階級の委員会」がなければ、市場原理が機能するわけはありません」。これは要するにみんな公務員になりたがってるんだ、という(あなたの、あなたたちの)官僚主義を意味しているわけです。それを実践したのが社会主義であったという歴史の経験を今なお左翼党員であるあなたはよくよく学ぶべきです。それに比べれば、自民党の方がはるかに地方を重視したし、民主主義的(あるいはあなたをエキサイトさせるとすれば真に“社会主義的”)だったわけです。

そのことを考えることなしに、官僚の公共性や市場主義と相補的な官僚制を議論してはいけません。まともに読んだこともないカント、オルテガ、マルクスを孫引きのように引用するあなたの議論に細かくはいるのは、ここでは留保しておきましょう。すべて間違っているからです。

ついでに言えば(貿易センタービルが破壊されたついでにいえば)、田中角栄は、立花隆的(=官僚的な)追求によって、駆逐されたのではありません。むしろ竹下登のクーデータによって崩壊したのです。それは田中派の権力の頂点において生じたのであって、田中の没落の果ての出来事ではなかったのです。どんな権力もそれが強権であればあるほど、〈外部〉から崩壊するのではなくて〈内部〉から崩壊します。それは、戦略ミサイル構想(ポスト米ソ対立後もはや存在しない外部の敵と戦うこと)にうつつを抜かしていたブッシュが、国内線の飛行機によって、権力的な危機を迎えたというのと似ています。

外部を駆逐するということは、内部を敵に回すということと同じことだからです。もともと強さとは、外部の力によっては壊れないということですから、当然のことです(ビンラディンも内部の裏切りなしには崩壊しないでしょう。組織とはそういうものです)。

もともと、田中派は自民党の派閥の中で、一番左に位置していました(あなたに近い、観念的な左としては三木派がありましたが)。お金と票で動いていたという意味でです。そうではない小泉や中曽根の方がはるかに反動的であることは、この間の靖国騒動ではっきり浮き彫りにされました。何度も言いますが、ゼネコンが田中派と結びついて、半分公務員のような働きをしたのは、かれらが、民主的であったからであって、その逆ではありません。

しかし、果たして公共性と民主制は同じものでしょうか。あなたの通俗的な〈公共性〉論からははるかに遠いところに来ました。今日はここまでにしましょう。


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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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