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 緊急入院しました(病院選びは難しい) 2001年07月01日

6月21日(木)の朝、6:00くらいからお腹が急に痛くなり、寝れば何とかなると思ってもう一度寝込みましたが、今度は痛くて眠れなくなり、七転八倒。じっとさえしていられなくなりました。

ちょうど痛みで起こされたのが8:30くらい。家にはもう誰もいません(息子は学校、家内は会社)。吐き気はするのですが、何も出ない。お腹が痛いのに、下痢もまったくない。私は風邪の時には、だいたいお腹の来るので、吐き気や下痢の感覚はつかんでいるが、こんな腹痛は初めて。おへその下あたり全体が痛い。痛さは下痢の時の痛さと同じ。でも出るべきものが上からもしたからも出ない。寝込んでも立ってもころがっても痛さが変わらない。そのうち居ても立ってもいられなくなった。ただごとではないと思い始めた。こうなったら、救急車。でも110? 119? 109? 急にわからなくなって、110番。「あのー救急車って、何番でしたっけ?」「119番です」「ありがとう」。そして119番に電話。「こちら119番。火事ですか、救急ですか」「あのーお腹が急にいたくなって」「わかりました。地区はどこですか?」住所を言って、最後に「住宅街だから、サイレンを落としてください」とまではまだ冷静だった。救急車は5分足らずでやってきた。このときにはもう地獄のような痛さ。サイレンの音がしたのでその段階で下に(私の階は8階にある)息絶え絶えの状態で降りた。下に降りるとマンションの管理人たちが(想像していたとおり)4~5人ぞろぞろとでてきて、誰なのという感じ。「あっ、芦田さん、お子さんか奥様に何か」「いや、僕なんですよ」。それが精一杯の返事。管理人たちも思わず沈黙。

救急車に乗ってからがまた時間が取られるというのが今回の勉強の最初。まずそれなりの診断をする。そうでなければどの病院も受け入れようがない。そのうえ、希望の病院はないのかまで聞いてくる。私は特に病院通ではないので「どこでもいいですよ」。「近ければ」と付け加えた。救急隊の人たちの病院の選択にはかなり慎重な感じがあったが、その意味などこの段階ではまったくわからなかった。こういったやりとりでほぼ10分くらい。この時間がやけに長く感じた。早く連れて行ってよ、というのが私のこのときのすべてであった。

結局、私の家から一番近い「S総合病院」(http://www.shimodabyouin.jp/)に決まった。「Sでいいですか」と隊員。「S病院」は私の散歩コースの周辺でもあったから、「いいですよ」(これがいけなかった)。

救急車でほぼ6分くらい。もちろんこんなことは初体験。しかし着いても「S病院」は普段のまま。外来患者の診察の間に割り込むという感じ。割り込めればまだいい方で、このままでは私は、なんのために救急車で連れ込まれたのかわからない。「ウーウー」としかし病院中、響き渡るくらいに、私の悲鳴は大きかった。あの車椅子で、外来のロビーをうなりあげながら通行する風景は一生忘れることはできない。診察室で横になっても先生は隣の部屋で外来を看ており、すぐには来ない。「ウーウー」は、“早く来いよ、この野郎”という懇願の声にもなっていった。やっと来たのは、この病院の、若いS院長先生(あとから散髪屋に行って仕入れた情報だが、この若い院長は、3代目で、創始者はこの院長の祖父らしい。祖父も2代目もいい先生だったらしい。さてこの現役の院長は?)。「どうしましたか?」だって。バカじゃないの。お腹が痛いのよ。「どのあたりですか」。「全体に」と私。「全体って? 横とか後ろとか、へその上、へその下?」。だったら最初からそう聞けよ。「へその下あたりで、前の全体という感じ。特に局所的な感じではない。下痢をしたときの腹痛に似ているけれど、下痢も(最初、吐き気はあったけれど)嘔吐もない」と私はそう答えた。この若い院長先生、私の下腹部を押さえながら(この押さえ方じゃ診断できないでしょう)、「うーん、とりあえず、検査してみましょう」と先生。それだけ? そんなこと誰だって言うじゃない。私はこの先生に診断を期待することを早々と諦めた。「検査もいいけど、とりあえず、痛みだけはとっていただけますか?」。「そうね、痛み止めを打ちましょう」。そう答えるのがこの先生には目一杯というところだ。

そこで出てきたのは、(誰でも子供扱いにする)年齢不詳の看護婦。「いたそうね。これをうつと大丈夫よ」。看護婦というのは、なぜ患者を、いつでも親しげに年下扱いするのだろうか(私よりは若いくせに)。「大丈夫よ」の「よ」は、どういう言葉使いなのか? これが(10人以上の老若看護婦と接して)今回の入院騒動で一番感じたことだった。筋肉注射を2本一度に打たれた。注射は、30年前の日本脳炎予防注射以来のことだ。「これって、すぐにききますか」「すぐききますよ」「すぐって、何分」「すぐに効く人もいるし10分くらいかかる人もいます」「ということは最大10分ということね」「そうよ」。私には、もう我慢の限界だったので、「最大」10分という答えがほしかった。ほっとしたのもつかの間、こんな注射、何の役にも立たなかった。まったく痛みはとれない。

注射が30年ぶりなら、点滴ははじめて。筋肉注射のあとは、点滴をすることになって、これが退院までずーっと私を悩ませることになる(寝ても覚めてもトイレまでも、そして検査中も、着替え中も点滴。バカじゃないの。こういった無様さが病人をますます病人にするのです)。

痛み止めが効かない状態で、まずは、1)尿検査 2)血液検査 3)立ったままのレントゲン 4)寝た状態でのレントゲン 5)超音波検査 を一気にやらされた。こんなバカな検査はない。検査中も点滴状態。そのうえ、痛くて痛くて、レントゲンも超音波も、壁に足を何度もぶつけないと耐えられないほど痛いのに、「壁にぶつけると足が痛いですよ」だって。青果市場をまわるように検査ごとに別々の人が検査露天商をやっている状態だから、検査される私は自らを“物”のように無機物化するしかない。この無機物化が痛みの内在感に合わない。ばかやろう、何が10分だ。もう、30年ぶりの注射を打って1時間は経っていた。

もう一度外来患者を相手にしている院長先生のところに戻ってきた。この病院に着いたのが9:30くらいだから、検査を終えて戻ってきたのが11:00くらい(と時間を書いているが、これは私の錯覚。実は、私が家内に「今から救急車を呼んで病院に行く」と電話をしたのは、11:10らしい。私は、自宅で2時間くらい七転八倒していたみたいだ。もはや時間の感覚もなかったのかもしれない)。

「まだ痛いですか」。(見りゃわかるだろ)。「ほとんど変わりませんね」と私。検査データに目を通して、先生が言った言葉。「どこも悪くはないですね」。「とりあえず痛みを取ってほしいのですが」。「そうは言っても原因がわからないと。何の痛みなのかがわからないとそんな簡単に痛みは取れませんよ」。誰がそんな“理屈”を言えと言ったんだよ。手で押さえて(触診で)わからないのだから、あとは機械的な精密検査しかない。人間的な痛みという有機的なシグナルは、もう意味はない。私にすれば、盲腸の手術の時にする麻酔薬くらい打ってくれればと思っていた。別に痛みさえ取れれば死んでもいいのだから、というくらいに「ウーウー」唸っていたのだから。痛みの最大の原因は生きているということだ。生きていることの最大の原因は死ぬということだ。したがって、痛みは死なないととれない。麻酔は仮死状態(生きながらにして死ぬという禅仏教状態)を作ることなのである。かつて、太宰治は、人は思想だけでは死ねないと言っていたことがあるが、身体の荷担とは、死の荷担のことなのである。

「とりあえず、座薬を入れましょう」。「座薬」なんて恥ずかしいよな、なんて言っている奴は元気で健康な奴。痛みさえ取れれば何でもやるよ、という気になってしまう。私も堕落したものだ。これがよく効いた。30分くらいでやっと痛みがとれはじめた。21日木曜日の正午近くだった。痛み始めて、約6時間(これも家内の記録によれば、私の錯覚。座薬を入れたのが午後1:50。痛みが取れ始めたのは午後3時近くだったらしい。私は10時間くらい痛みで唸っていたということだ)。私は、この座薬だけでよかったのだ。

しかし、座薬なんてするくらいなら死んでもいいや、というのは人間が元気なときに言うことであって、病気になって見ろよ、そんなことはすっとんでしまうから、なんてことを私は本気で言う気は全くない。事実そういう気になったが、それとこれとは別。他人様に穴の穴(けつのあな)を見せるのを「しようがない」なんて言う気になるのは、もはやその人間が人間でないときにだけであって、たぶん座薬を入れる看護婦も人の穴(人間のケツ)とは思っていないだろう。(ただし、この病院は、その座薬を入れた看護婦の指を横になっている患者である私の頭の背後で洗う位置に洗面所がある。これは気になる。私のお尻はそんなに汚いのか?!)。子供を出産する女性(亭主にさえ見せたことのない秘部を他人にさらす女性)がもはや人間ではないように、私も少しは人間ではなくなったわけだ。要するに、死ぬのが初めての病気くらいの人生をおくりたいものだ。健康なまま病気になれるのは女性だけなのである。本当は出産は最高の病気である。ウイルスどころではなく、他者それ自体をカラダに抱え込むのだから。

あれこれと思ううちに「明日は、CTスキャンと胃カメラ検査をしましょう。とりあえず、入院ですね」。そこで年齢不詳の看護婦(先ほどから“年齢不詳の看護婦”と言っているが、これは、同一人物ではなく、3人目の年齢不詳の看護婦です)が再び登場。「ゴメンナサイ、差額ベッドしか今空いていないんですが。どうします?」。「個室でいいですよ」「個室はなくて、2人部屋までなんですけど」。「じゃあ、2人部屋でいいです」。個室がない! なんて病院だ。私の家内の時でさえ(「芦田の毎日」322番参照のこと)、個室を取ったのに、私は差額ベッド代7,000円(1日)の2人部屋。こんなときぐらい、ゆっくり休ませろよ、と思いなながら、3階の305号室が私の部屋になった。

そもそも差額ベッド代というのに詳しくなったのは、家内の2年前の入院以来(上記322番参照のこと)。家内の入院先は松戸の新東京病院。ここは完全個室で日額18,000円。病室内にトイレ、風呂、応接セット、完全消音装置の付いた冷蔵庫、テレビなどがついて30㎡はある個室だった。これなら充分闘病はできる。そのとき一日18,000円もかかる差額代だった。せめて病気になったときくらいゆっくり休みたい。場合によってはパソコンやインターネットもゆっくりやりたい(「芦田の毎日」も書き続けたい)。また友達などと面会時間を超えて自由な時間に会いたい。私の家内の場合は、わたしのテラハウスでの仕事の関係もあって、面会が夜の11:00を超えるということもあり、この個室選択の理由にもなっていた。個室であれば、24時間ほとんどの時間で自由に病室を出入りできる。それに松戸までいく首都高速6号なんて22:00すぎにならないと走れないくらい混んでいる。深夜の面会はその意味でも重宝した。

ところが一方で、一日18,000円。一ヶ月でそれだけで55万円。これでは将来、ガンや大病をわずらったときに、個室で闘病する気になれない。差額代が気になって、早く死ぬしかない。そのとき以来、わたしは生命保険をすべて解約して、入院保険に切り替えた。家内も私も息子もすべて一日20,000円は出る入院保険に加入した。生命保険は、死んでから出るもの。そんな死んでからのことよりも、死ぬ前に不自由しない保険にはいるべきだ。特に闘病の時(死ぬ前)に、お金のことが気になるなんて最低の生き様ではないか。生きている限りは(健康である限りは)、なんとかなるのだから、病的なときに自由でいるためには(つまり病的なときに自由に死ぬ準備をするためには)、個室に入院できる体制をとるべきだ。みなさんも(もし相続税を心配するほどの財産家でない場合は)生命保険はやめて入院保険にした方がいいですよ(Alicoがいいですよ)。

もちろん、東京都心の有名な大病院でれば、差額代は50,000円を超えるだろうが、都内の平均的な病院であれば、20,000円前後だ。地方へ行けば、1万円以下で個室になる。そういった気持ちでいたものだから、入院=個室と決め込んでいた私は「二人部屋」と聞いてショックだった。

この部屋は、窓側が南向き、出入り口が北側にある。ベッドは頭が東を向くように置いてあり、窓側、出入り口側にそれぞれベッドが置いてある。2台とも空きベッドだったが、私は(窓側ではなく)出入り口側のベッドを使うことになった。最初、その意味がわからなかったが、理由は簡単なものだった。看護婦が、たぶん、出入り口から遠い、奥のベッドへ行くのがじゃまくさいだけのことなのである。これが、わかったのは、入り口のドアを閉め切ると看護婦たちがいやがることを知ったからである。この部屋(というより、この病院のすべての入院患者の部屋)のドアにはストッパーが常備されていて、いつもドアが開けっ放しで固定できるようになっている。検査や点滴の付け替えごとにいちいちドアなんか開けてられないということなのだろう。ひどい話だ。

そのうえ、この病院の通路は往来がやたらに多い。確かに入院専用のフロアなのだが、看護婦の往来、掃除婦の作業、トイレの往き来(個室がないものだから、すべて共同トイレということもあって)など廊下がうるさい。そのうえ、ドアが常時開いているものだから静養とはほど遠い。そのうえ、私の隣の病室は「苦しい、痛い」と2~3時間置きに昼となく夜となくうなるような声をあげる痴呆症の老人(老婆)が入院していたから大変だった。
さて入院してからわかったこの病院の看護婦たち(=病院そのもの)の特徴。

1)若いか年をとっているのかわからない看護婦が多い
2)患者に対する言葉使いが、子供を相手にするような言葉使いで不快。郵便局の受付窓口にそういう“おばさん”がたまにいるが、それと同じくらいに不快。親しげにしゃべることと患者に安心を与えることとは何の関係もない。
3)いやみなほど声が大きい
4)とにかく、病室のドアを開けっ放しにしたがる
5)病院(病室)を自分たちのオフィスだと勘違いしている
6)病室の前の通路(廊下)を歩くときに用もないのに早足で(音を出して)歩く。レストランでウエイトレス(ウエイター)が早足に歩くのが不快であるのと同じ。
7)初めてなのに、入院患者である私に名を名乗らない
8)その割に「芦田さん」とそこかしこで慣れ親しく呼んでいる
9)私の担当者が誰だかわからない
10)婦長が誰なのかもわからない
11)すでに行った検査を確認もせずに、もう一度(何度も)やろうとする
12)数種にわたる点滴の内容を説明しない
13)病室、病棟の説明をしない
14)入院患者の「生活心得」をまったく説明しない(起床がいつ、就寝がいつといった基本的な生活ルールでさえまったく説明しない)
15)要するに、私は何も説明されないまま病室で放置された
16)「説明」されたのは、この病室のテレビを見ようとしたら、1000円(10時間)でカードを買わなければならないということだけだった。
17)腹痛でうなっている中年男を見ると「尿管結石」と決め込んでいる看護婦がいる(「痛いでしょ、尿管結石って」。本当に言われたんですよ。ドリフのコントのような話。“ダメだこりゃ”と思いました)
18)つまり、経験的に過剰な思いこみを持っている看護婦が多いこと。
19)というより、検査歴や投薬歴に目を通さずに ― あるいは担当医師とのコミュニケーションなしに ― 病室に入ってくる看護婦ばかりだということ。
20)家内が付き添いに来ると全体に急に私に冷たくなった(考え過ぎか?)

こんな病院での入院生活が始まった。座薬が効き始めて、この最初の座薬の効き目が切れ始めたころにふたたびあの痛みがおそってきたらどうしようというのが一番の心配だったが、家内が面会時間(夜は午後8時までだというのをあとで知った)をすぎて帰ったあとも、痛みは再来せず、一安心。もちろん食事や飲み物は検査が終了するまで一切禁止で、点滴をしたまま生まれて初めて病院で一夜を送った。特に寝付かれないということはなくて、すぐに朝になったが、今度は勝手なもので、いったいこんな状態で何日過ごすことになるのかということが気がかりだった。朝、S院長が来たが、「今日はCTスキャンと胃カメラ検査をしましょう、それで問題がなければ、明日は … 」。「明日は退院ですね」という言葉を期待したのだが、「明日(から)は、流動食くらいは食べてもいいでしょう」だって。この院長いつまで私をこんなところに監禁するのだろう。私は、父を白血病で亡くしているが、こんな病院で「父は白血病でした」なんて言ったら、いつまで検査が長引くかわからないので、いつの間にか「まったく健康です」と言い続けることにしていた。これは、裏返しにされた生体の保護・自衛能力というものだ。

入院して翌日の朝9:00にCTスキャン検査開始。TOSHIBA製の機械だった。結構、冷却ファンの音のようななんだか大きな音がする。5分~10分くらいで終わり(この検査中も点滴はつけたまま)、次は胃カメラ検査。私はバリュウムでさえ飲んだことがないのに、いきなり胃カメラ。まず、どろどろとした、口内を麻痺させるためのシロップのようなものを口に含んで2,3分。それをはき出してから、(年齢不詳の)看護婦が咽喉のほうに麻酔剤を吹き付ける。このときに嗚咽が何度か。いやな予感がした。吹き付けるだけでも嗚咽がするのだから(たぶん吹きつけ方が下手なだけのことだろうが)、ここへ管が入るとなるとどうなるのか、考えるだけでもぞっとする。

2段階の麻酔処置後、ベッドに横たわり、いよいよ胃カメラ。かなり飲みやすくなったと聞いてはいたが、私にはまだ結構太い管のように思えた。私は、近藤誠派(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3aefc10412c880103cc4?aid=&kywd=%B6%E1%C6%A3%C0%BF&ti=&ol=&au=&pb=&pby=&pbrg=2&isbn=&age=&idx=2&gu=&st=&srch=11&s1=za&dp=&kywdflag=0)だから、もともと胃カメラ検診に嫌悪感を持っている。だから余計にカラダに力が入ってしまう。

管が気管支のところを通るときが一番嗚咽がきついときだ。2,3回は涙を出しながらの“ゲー”が続く。「力をぬいて」「息をゆっくりはいて」「目をつむらないで」とは言われるが、力を抜くのも息を吐くのも(ヨガの思想だ)、こういったときは難しい。管が中に入ってしまえば、どういうこともないのだが、今度は取り出すとき、あるいは食道の上部あたりを管を回転させて検診されるときがまた何とも言えなく不快な感じで、また“ゲッー”っとなる。とはいえ、あっという間に終わったという感じだった。

こういったとき気になるのは、検診後の担当者の態度だ。たぶん検診中に患部は露呈しているのだろうから、「あっ、この患者もう終わりだな」なんてことはいつでもあることだろう。とはいえ、「どうでしたか?」なんてことも(こわくて)聞けない。しかし、検査後は何事もなかったかのように静かで(これがまた不気味)、2人の看護婦と検査士一人とがいたが、検査結果については言及なしに、「病室へお戻り下さい」で終わった。

さてこれで、尿検査、血液検査、レントゲン検査、音波検査(ここまでは初日の検査で異常なし)、CTスキャン検査、胃カメラ検査(二日目)と一通りの検査が終わった。

 病室に入ってからは、検査結果待ちだったが、院長は、朝からまだ一回も私のところに来ていない。いったい、これからどうなるのだろうと思いながら、家内に“様子”を見てきてほしいと頼んだ(こういったときは、なかなか本人では聞きづらいものだ。医療における「アカウンタビリティ」というのは、実は事柄の半分しか言い当てていない。患者というのは、知りたいと同時に知りたくもないという両面の心理で動いている。アカウンタビリティというのは、患者の周囲の者の権利なのである)。

 しばらくしてきたのが、まったく新しい先生、F先生。若手で30代前後。院長とは違って、才気あふれるやり手の先生という感じ。目つきがなかなかいい。「芦田さん、検査の結果はCT検査、胃カメラ検査も含めてどこも悪くないんですよ、ちょっとお腹見てみましょう」。このときの触診がまた明らかに院長と違った。遙かにF先生の方が少し強めにお腹を押さえる。これくらい押さえなくちゃ確かにわからないだろう。院長先生はただ儀礼的にさわっているだけという感じだった。「どうですか、痛いところはありませんか?」「ないですね」。「うーん、それじゃ退院しますか。お忙しそうだし。院長先生と相談してきます」「本当ですか、それはありがたい」。私は、このF先生の「退院」という言葉が、「座薬」が効いた時と同じくらいにうれしかった。座薬が効いて痛みが取れてくるのと同時に私が思っていたのは、どうやって、この病院から脱出するかということだった。私の自宅はこの病院から歩いても5分程度。パジャマのまま出ていくこともできるが、医師の命令を無視して病院を出ていくことは、ほとんど犯罪に近い。入院時に払わされた保証金の10万円も戻ってこないだろう。でも10万円をすててでも脱出したいのがこの病院だった。もちろん病院を脱出したいのか、入院から脱出したいのか微妙なところがあったが、木曜日の夕方からずーっと思っていたのは、そのことだった。だから、F先生の「退院」という言葉は、痛みを鎮めた座薬と同じように私にとって第二の神様だった。

 私が「退院」を希望したのは、もっとくだらない理由があった。木曜日に入院、金曜日退院。土日は自宅で、というのが私の希望だった。だって、土日に病院なんてサイテーじゃないですか。入院でウイークデイを過ごして会社を休むのは得をした気がするが(ちょうどインフルエンザがはやって学級閉鎖になった生徒のように)、土日を病院で過ごしても勤めの延長のようで、逆に損をしたような気になる。そんな勝手なことを考えるようになって、私もサラリーマンになったのかな、と思ったりもしていた。30代は、週に4日間くらいは、自宅にいたものだから、土日の意味などそれほどなかったが、最近は、土日の比重は大きくなっていた。

 10分くらいして、F先生が戻ってきた。「院長の了解を取りましたから、退院手続きをとってください。薬は一週間分、痛み止めは、5回分用意しておきます。週が開けたら、もう一度来てください」。「ありがとうございます」と家内と私。
 
早速、退院手続き。F先生の「退院」の言葉の後、一時間位して看護婦が点滴をはずしに来た。この2日間ずーっとつけっぱなしの点滴。まるで電池持ちの悪いノートパソコンの長時間バッテリーのようなこの点滴針をはずして、やっと「退院」のありがたさが実感できた。その後も結構時間がかかったが(依然として誰もこの待ち時間の説明に来ない)、「退院」は確定しているのだからどうということのない時間だった。数時間してやっと病室から出て、1Fに降りて、一日前「ウーウー」うなって入ってきた外来の待合室を点滴なしに通り抜けたときに、やっと本当に自由になったと思えた。外来の診察をする院長がちらっと見えたが、もう二度とここへは来ないつもりで、通り過ぎてしまった(おとなげない)。ただし、F先生だけは、“命の恩人”と思い、名前だけは聞いておけと家内に言って調べておいた。実は、“その”先生が「F」先生というのは後から聞いたのだ。火曜日と金曜日が当番の先生らしい。この先生が月曜日と木曜日の担当だったら、私のこの「退院」は週明けになっていただろう。考えただけでもぞっとする。お中元を贈らなきゃ。

病院からは、散歩のようにして歩いて自宅へ帰った。息子が烏山の自転車置き場に自転車を置いているので、「父、退院する」という置き手紙を自転車に張ってから(少し遠回りだったが)、帰った。マンションに着いてからは、管理人室の受付カウンターに立ち寄り、先日の“ご迷惑”についてご挨拶をし、自宅に戻った。金曜日の午後の5:00だった。
 
 あれから、痛みは再来していないのだが、日曜日(23日)になって、少し腰が痛くなってきた(右側の後ろの腰骨の部分)。筋肉痛のような痛さなので、たぶん、金曜日、土曜日とお腹を無意識にかばって歩いたため、普段使わない筋肉を使ったのが原因だと思うが、7月1日のいまでもまだ(腰が)痛い。先週もテラハウスは午前中だけの勤務にして早引きしていた。2日の月曜日からはフル勤務しようと思っているが、この腰の痛みは少し気になるところだ。筋肉痛なら日々症状は軽くなるはずだが、立ったり、座ったりするときにはまだ痛い(立ってしまえば普通に歩けるし、座りっぱなしであれば特に痛くはないのだが)。変なウイルスが私の下半身にすくってしまったのかもしれない。水曜日には、家内の命を救った松戸の病院に行って“オーリング”検診を受けることにしている。

今回の入院で学んだことのひとつは、救急病院はあらかじめ決めておくこと。職場と自宅(自分の過ごす時間の多い場所)で何かあった場合、どこの病院で治療するのかをあらかじめ決めておかないと、救急であっても、一度入院してしまえば、そう簡単に転院などできないから、(個室の有無も含めて)評判を確かめ、「マイ」救急病院を決めておくことだ。入院とは、限りなく死刑に近い監獄にはいることと同じことである。だから、居心地のいい監獄を決めておく必要がある。

もう一つは、やはり、病気になってはじめて健康の意味をわかるというのはダメだということだ。健康の時にこそ、病気の意味を取り込む必要がある。それは定期健康診断を受けるということではない(私は46のこの年齢まで健康診断を受けたことがない)。定期健康診断もまた病気を忘れるための別のあり方である。生きているということの真の“目的(END)”は死ぬことである。この目的が通常の目的と異なるのは、時間的な猶予(=計画)を持たないことにある。常時、存在している目的が死というものだ。したがって、いつであっても目一杯の仕事をしておく必要がある。どんなに途上の仕事であっても、理念としては完結した仕事をしておくことだ。気をつけなければならないことは、人間が死ぬということは、現在に、自分の存在の意味をすべて込めることができるということを意味している。だからこそ、人間はいつでも死ねるのである。これこそが、人間の最高の保険である。定期健康診断をして安心している人間は、自分の存在の意味づけ(=現在)を将来に延期して曖昧にしようとしている(曖昧にできると思っている)。あるいは、まだ自分の存在の意味は、まだ先に(将来に)あると思いこんでいる。こういった思いこみは、自分の〈現在〉を釈明する、言い逃れする迷妄なのである。それは定期健康診断で死から脱出することができる、あるいは死を延期することができると思う迷妄と同じものである。健康がありがたいのは、死ぬことができることに感謝できることであって、その逆ではない。

ところで、私の20項目の条件をクリアするおすすめの(救急)病院、誰か教えてくれませんか?


※ちなみに私の入退院費用は以下の通り。

S病院の入院費用
○一日目
「初診料」250点
「注射料」117点
「検査料」1479点
「レントゲン料」684点
保険総点数2530点→「負担金」5,060円(私の支払う金額)

○二日目
「投薬料」6660点
「注射料」7440点
「検査料」20600点
「画像診断料」18810点
「入院料」30120点
保険総点数83630点→「負担金」16,730円(私の支払う金額)+保険外(室料14,000円)

以上2日間でかかった費用は35,790円(差額ベッド代14,000円を含む)でした。なお差額ベッド代は、一泊二日でも二日間の入院ということで二日分の費用になるらしい。「ホテル代の計算の仕方とは違います」とわざわざ窓口に書いてあった(こういったときにだけ丁寧に説明してある)。
なお、上記の必要費用とは別に、入院保証金(「預かり金」とも「保証金」とも言っていた)として10万円が必要で、上記の費用との「精算」という形での支払いになりました。10万円なければどうなっていたのだろう。急病であってもプールされるお金がなければ、治療できないのだろうか。なさけないことだ。

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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