嗚呼、自民党総裁選 2001年04月15日
今回の自民党総裁選、勝者は、まちがいなく、橋本龍太郎。そう思ったのは、亀井静香と麻生太郎が出馬したときだ。
たぶんこの二人は、橋本派の“承諾”を得て出馬している。言い換えれば、橋本派の立てた自前の対立候補者がこの二人である。橋本派が小泉純一郎との一騎打ちを避けたかったからだ。亀井と麻生は争点隠しのための橋本(橋本派)別働隊にすぎない。つまり小泉は、今、身動きができないほどに圧倒的に包囲されている。4人の出馬決定後、小泉の顔から血色が消えた。後がないことを覚悟しなければならなかったからだ。派閥離脱も少数派であることを再度認めたからに他ならない。もはや、総裁戦後、森派(小泉派)は存在しないだろう。それが、亀井静香と麻生太郎が出馬したことの意味だ。要するに、自民党は今、橋本派しか存在していない。誰も橋本派と戦おうとしない。官僚の言うことをオウム返しにしか言えない橋本龍太郎のどこに自民党の将来、政権党の将来があるのだろう。官僚の言ったことを自分の言葉のようにして言えるところが、橋本龍太郎の唯一の才能だが(橋本はだから官僚からの支持率が一番高い)、それがどうしたというのだ。今、そんな才能はどうでもいい。
小泉も「自分が一番国民から支持されている」なんて、加藤紘一みたいなことを言っている場合ではない。しっかり政策を打ち出すべきだ。郵政民営化も大切な政策だが、旧大蔵省の、“郵政省憎し”に引きずられて(小泉はある意味では単に旧大蔵省の回し者にすぎない)、郵便局自体を民営化することにこだわるべきではない。むしろ郵便事業の民間参入という規制緩和策を打ち出すべきなのだ。郵政事業それ自体をわざわざ敵を作るようにして否定しないで、民間と郵政事業を競わせればいいのである。勝ち負けは消費者が決める。規制緩和の意味は、消費者がすべて決着をつけるということだ。政治が郵政事業を否定する必要など何もないのである。ここを間違うと小泉は孤立するしかない。
しかし大蔵省が郵政省を憎んでいるのは、郵便貯金の市場解放を睨んでのことであって、何もヤマト運輸の事業拡大を支援してのことではない。官僚の天下りの退職金に代表される特殊法人などの半公共団体の資金的温床になっているのが郵貯だ。これらのお金は全く市場化しない奇妙な資金なのである。そしてこの資金が自民党の多くの(各種の)族議員の族形成の資金にもなっている。だから郵政民営化は進まない。郵政民営化は政官癒着の温床である特殊法人の解体を含んでいるからである。このお金を使えば、不良債権のかなりの部分が処理できるのに。誰でもがわかっているこの不明朗な領域に、誰が切り込むのか。郵貯の資金で生きている橋本龍太郎(=亀井=麻生)に、この改革は無理だ。小泉はここにこそ切り込むべきだが、まさに、そこに切り込ませないためにこそ、橋本、亀井、麻生による小泉包囲網ができあがったのである。小泉は自民党の全権力を敵に回したのである。血色がなくなるのも無理はない。
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