re(1):今、京都駅にいます(続編) 2001年01月19日
身内というのはいやなものですね。「お前、東京で何してんの?」だって。私よりはるかに稼いでいる人間がそう言ったりもする。日頃、給料をもらっているときにはあまり感じなかった自分の“身分”がこれほどきつく感じられるときはない。
日本の〈イエ〉制度は、封建的なように言われているがそうではない。日本的養子縁組は、〈イエ〉が機能集団であって、血縁原理で動いているわけではない証だということを明らかにしたのは、「文明としてのイエ社会」村上 泰亮〔たち東大の社会学者グループ〕だった(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3a67130e1a8c901039c8?aid=&bibid=00149295&volno=0000)。
したがって、親族に死者が出たりしてたまに集まると、社会的プレゼンスの(間接的な)競合のような体をなすのは、何も私のイエだけであるまい。それは郷里の同窓会であっても同じだ。イエも同窓会も、場合によっては、会社より“階級的”であったりするのは、日本固有のイエ制度が根を張っているからかもしれない。会社の階級制にはまだ“サラリーマン”の悲哀の共同性(平等性)が根底に流れているが、イエ(財産を拡大的に存続させなければならないイエ)の階級制にはそんなものはみじんもないからである。日本の近代化を支えてきたのは、むしろ日本固有の(合理的な)イエ制度だったのである。
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