連載:高等教育・職業教育・生涯教育(3) 2001年01月14日
履修評価システムを破壊する構造的要因は他にもある。
先にも触れたように時間割が比較的密な専門学校や短大に多い問題だが、「補習(補講)」「追再試」「課題提出」といった履修判定のサブシステムが日常化しているということだ。
これらは、履修判定試験で落第点を取った場合、再度試験の機会を与えて学生を救ったり、あるいは資格試験による官許的規制などで出席数(受講時間)が足らない学生に「時間補習」などで出席数を補うといった処置である。これらの処置の問題が、履修判定のダブルスタンダードを作ることになり、履修評価の厳密性が損なわれるということにあるのはもちろんのことだが、それよりももっと大きな問題が潜んでいる。
落第点をとっても再試験(や課題提出)で何とかなる、出席しなくても「時間補習」で補えばいいという後退した意識が、本試験(評価)や個々のそのつどそのつどの授業時間に集中する気持ちを殺いでしまう。これは、学生だけの意識ではない。授業時間中、寝ている学生を注意しない。理解の遅い学生を置き去りにする。出席率の悪い学生に出席指導をしない。教員がそういった授業努力をしないのは、教員側にも、そういった学生の発見=「補習」「再試」、ようするに授業外指導という図式が成り立ってしまうからである。
評価のダブルスタンダードは、授業時間の教育を極めて平板なものにしてしまう。できない学生(授業に参加しない学生)がその授業から自ら離れていくだけではなく、教員もまたその学生を教育対象から外してしまう。両者とも“あとで”何とかなるというふうに思いこむことによって、授業時間の中での努力に集中しなくなるのだ。
授業中寝てしまう、理解が遅い、出席しない。これらは、学生の素質でもあるが、一方では、教員の授業運営に問題があることの兆候でもある。むしろこういった兆候(を受け止めること)こそが、授業改善の契機にもなっていた。教材開発などは、こういった、学生が授業を否定する傾向に教員が直接向かい合うことにこそ動機を持っていたわけである。ところが、補習や追再試は、授業改善に教員を向かわせない。そういった学生を補習・追再試があるために“授業外学生”と早々と見なしてしまうからである。評価の(公然、非公然な)ダブルスタンダードは、単に評価を曖昧にするだけではなく、教育活動の本道としての授業活動そのものを形骸化してしまうのである。
しかもこれらのサブシステムは本来的には救助システムであるため、事実上、本試験の目標レベル(=履修目標)よりは下がってしまう傾向にある。先にも触れたとおり、科目再履修(落第生を出すこと)が、時間割の緊密さのために事実上留年になりやすく、留年が退学につながりやすい専門学校や短大では、「補習(補講)」「追再試」「課題提出」などは教務的というよりは、経営上の逃げ道になっている。目標達成できないままの卒業生を送り出してしまっているのである。というより、目標達成しないままでも卒業生とみなすためのシステムが「補習(補講)」「追再試」「課題提出」といったサブシステムだと言った方がよい。履修評価という課題は、むしろ公然と捨て去られていると言った方がよい。
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