追悼・永坂田津子 2001年01月25日
私の学部時代の恩師、永坂田津子(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3983089f2aaf30100b91?aid=&srch=2&st=&ti=&au=&ol=%B1%CA%BA%E4%C5%C4%C4%C5%BB%D2&pb=&pby=&pbrg=2&isbn=&age=&idx=2&gu=&s1=&dp=10)が昨日15:58分死去しました。67歳でした。自宅23時前に帰ってから今連絡がありました。ショックです。
1983年、デリダが初来日したときの永坂先生。デリダの隣に女学生のように寄り添っている。微笑ましい。右端は平岡篤頼先生(名翻訳家・平岡先生も2005年にお亡くなりになっている)。平岡先生の左隣が29歳の私。タイピンがダサイ。
永坂田津子は、20代30代は西脇順三郎に師事して詩創作、現代詩論を中心に活躍し、研究者としては、ベケットの「マロウンは死ぬ」(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3983089f2aaf30100b91?aid=&bibid=01210432&volno=0000)の日本での最初の紹介者(翻訳者)で ― 今は絶版になっていますが ― 、他にはD.H.ロレンスの研究などでも業績を上げていました。
私は早稲田の学部時代に英語の先生としてはじめて出会い、私の卒論などを当時法政大学で教鞭を執っていた柄谷行人(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3983089f2aaf30100b91?aid=&srch=11&idx=2&kywd=%CA%C1%C3%AB%B9%D4%BF%CD&submit=%B8%A1%BA%F7&kywdflag=0)などに紹介してくれて実際に引き合わせてくれたのも彼女でした。私の20代30代はいろいろな意味で孤独でしたが、当時既に“売れっ子”の柄谷が私の手書きの卒論(「へーゲルと〈始元〉論の時代 ― 超越・根拠・弁証法」)を読んでくれて、市ヶ谷のルノアールで2時間ほど「始まり-終わりとは何か」を議論したのが(そのとき、柄谷は、当時まだ日本ではそれほど有名ではなかったE.W.サイード(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3983089f2aaf30100b91?aid=&srch=11&idx=2&kywd=%A3%C5%A1%A5%A3%D7%A1%A5%A5%B5%A5%A4%A1%BC%A5%C9&kywdflag=0)のBEGINNINGSを「君ほど本格的ではないけれどこれも参考になるよ」と言いながらくれました)、私が「東京でもやっていける」と思えた唯一の手がかりになっていました。
永坂は、まだ無名であった若き柄谷やその周辺との交友関係も豊富で三枝和子(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3983089f2aaf30100b91?aid=&srch=11&idx=2&kywd=%BB%B0%BB%DE%CF%C2%BB%D2&submit=%B8%A1%BA%F7&kywdflag=0)、蟻二郎(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3983089f2aaf30100b91?aid=&srch=11&idx=2&kywd=%B5%C2%C6%F3%CF%BA&kywdflag=0)など文学、思想関係の名手達に私を実際紹介もしてくれて馴染ませてくれました。何かと対立の多かった(こんな私ですから)大学院を修了し、他の大学で教鞭をとる道を開いてくれたのも彼女です。そのように私を大事にしてくれた永坂に、いま何をお返しできているかと思うとやはり「はやすぎる」とつい思ってしまいます。
昨年は、ジャックデリダを日本に最初に紹介した恩師、高橋允昭(http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_result_book.cgi/3983089f2aaf30100b91?aid=&srch=11&idx=2&kywd=%B9%E2%B6%B6%B0%F4%BE%BC&submit=%B8%A1%BA%F7&kywdflag=0)が死去し、今年は永坂田津子、いったいどうなっているのでしょう。昨週は私の叔母が亡くなりましたが、今週は永坂。年明けから北海道なんてところへ行ったものだから、それに負けじとみんな遠くへ行きすぎます。思想の世界では恩師もライバルです。永坂も高橋もいつあっても心地よい緊張感がありました。しかし、人が死ぬということは、それほど悲しいことでもありません。私にも必ず訪れるのですから、“しばしの別れ”ということでしょう。他人事だと思うから、悲しいと思ってしまうのです。永坂先生、しばしの別れです。同じように仲のよかった高橋先生によろしく。同じように私の結婚式に参加して心のこもった祝辞をくれた高橋先生によろしく言っておいて下さい。
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