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 連載:高等教育・職業教育・生涯教育(1) 2000年12月07日

大学の経済学部や社会学部を卒業しても、〈経済〉や〈社会〉のことがわからない。専門学校の建築科を卒業しても〈二級建築士〉すら合格しない。

こういった現状は、長い間、高等教育が、教育評価(教育成果の評価)を行ってこなかったことに起因している。

なぜ、教育評価ができなかったのか。

第一に、教育の専門性が(高校や中学に比べて)高い分、履修評価が教員個人的になりやすいこと

第二に、上位の進学先がない分、出口成果をはかる基準が曖昧になりがちであること

第三に、中等教育までの偏差値評価の伝統と実績(いい意味でも悪い意味でも)によって、学生の“素質”に依存した教育と評価が先行し、高等教育自らの教育成果の評価軸を打ち出す契機を失っていること

第四に、いわゆる学歴社会における“学歴”とは、高等教育独自の教育と評価がない分、高校卒業時(高等教育の入り口)の能力を示すためのものでしかなく、高等教育がそれに上乗せした成果は、偏差値評価のプレゼンスにかき消されてしまっていること。言い換えれば、学歴社会の能力主義に、高等教育は全く寄与していないこと

第五に、授業の密室化傾向が教育界に根強く残っており、専門性の密室性がそれにさらに追い打ちをかけていること。

高等教育に評価が欠けていることの原因は、上記の5点以外にもいろいろな仕方で言及できるだろうが、はっきりしていることは、評価とは共有できるものでなければ意味がないということだ。教員の専門性や自立性が高い分、授業の密室性が高まり、評価の共有性が阻害されているというのが現状だと言える。


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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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