「なぜ、人を殺してはいけないのか」 2000年10月14日
書店によったら、『文芸春秋』が「なぜ人を殺してはいけないのか?と子供に聞かれたら」という特集を組んでいた。
私はこの種の雑誌を滅多に買いませんが、気になるので久しぶりにお金を出して買ってしまった。やっぱり、買わない方がよかった。
山折哲雄(宗教学)、野田正彰(精神分析学)、岸田秀(精神分析学)、矢沢永一(国文学)、三田誠広(小説家)など一冊くらいは自分の書棚にある人たちの名前が並んでいたので、意見を聞いてみたいと思って買ったのに、期待した方がばかでした。
この人たちは、結局は凡庸な“ヒューマニスト”にすぎないのです。
私であれば、自分の子供に、「人間は殺しうるものだけを愛しうる」と教えたい。
人間の歴史は、殺すこと(否定すること)の対象を拡大することにあったわけです。
自然が脅威の対象であった時代には、自然を愛することなどはあり得なかった。自然から自由であることが自然を愛することの根拠であったわけです。
そのようにして、人間の歴史の“進歩”というものがあり得た(自由の拡大は愛するものの拡大でもあったわけです)。
一人の人間を愛することができる、という根拠も、その人間から自由に離れうる(その究極の形態として殺しうる)ということなしにはあり得ないことです。
人間が武器や戦術を持ちうるというのは、人間が自然的な諸条件(子供、女性、病者など)を超えて、どう猛な動物や強者から自由であるということです。
つまり人間は自由に殺しうるからこそ、自由に愛しうるわけです。
「なぜ人を殺してはいけないのか」。バカな問いを発してはいけません。殺すこと(殺しうること)は、人間の最大の自由です。
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